空飛ぶ自由人・2

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ドラマ『中村仲蔵出世階段』

2023年01月05日 23時00分22秒 | 映画関係

[ドラマ紹介]

「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵出世階段」
(ちゅうしんぐら ラプソディー だいごばん
なかむらなかぞう しゅっせのきざはし)

江戸時代に実在して歌舞伎役者・初代中村仲蔵を描くドラマ。
5話連続。

中村仲蔵(1736~1790)とは、
血筋がモノを言い、
名門以外の人が名を成すのが極めて難しい歌舞伎の世界で、
門閥外から大看板となり、
一代で仲蔵の名を大名跡とした立志伝中の人。

孤児だった中村中蔵(のちの仲蔵)は
長唄と踊りの師匠の夫婦に育てられたが、
中村座の中堅役者・中村傳九郎の弟子となり、
役者修業に励んでいた。
しかし、病で倒れた父を助けるために
役者を辞め、豪商・吉川仁左衛門の世話になるが、
役者の夢を捨てきれなかった。
やがて三味線方の娘・お岸と結婚。
養父母の死を契機に、
以前の師匠・傳九郎の許しを請い、
4年ぶりに役者生活に戻る。
ただし、最下層の大部屋からのスタートで、
待っていたのは壮絶ないじめだった。

しかし、めげずに精進していると、
四代目市川團十郎の目に止まって可愛がられ、
猪の足を演じて観客を沸かせ、
大立ち回りのある芝居で輝き、
出世していく。
そして、ついに「名題」と呼ばれる幹部役者になる。
厳しい身分制度の江戸歌舞伎の世界で、前代未聞の昇進だ。
しかし、立作者の金井三笑に目をつけられ、
「仮名手本忠臣蔵」では、
斧定九郎という冴えない役しかもらえない。

定九郎が登場するのは、
判官の切腹の場の後で、
芝居の緊張が解け、
雑談や食事やトイレに立つ人が続出する、
「弁当幕」と揶揄(やゆ)される場面。
山賊のこしらえで、
年寄りを殺して金を盗み、
イノシシを狙った銃で間違って撃たれて死ぬ、
という、誰がやってもしどころのない役。
その上、三笑によってセリフが削られ、
残ったのは、たった一言、「五十両」。
役者としての危機に陥る仲蔵。
さて、どうやって切り抜ける・・・

にわか雨に降られた居酒屋で、
駆け込んで来た武士の姿を見て、
それまで誰もやったことのない定九郎を造形するまでの苦労話は、
講談や落語でおなじみ。
私が初めて知ったのは、三遊亭円楽の落語だった。
円楽は嫌いだったが、
この演目はよかった。

仲蔵はどんな定九郎を作り上げたか。
それまで悪役として赤く顔を塗る慣行だったのを、
全身白塗りにし、
黒羽二重に献上博多帯をまとい、
破れ傘を水に潜らせて水滴を垂らす。
そして、銃で撃たれた後は、
口に含んだ血糊が膝に落ちる。

黒と白と赤のコントラストに観客は息を飲んだ。


シーンと静まり帰った客席に
仲蔵は「受けない、失敗した」と思い込んでしまうのだが、
あまりに見事な造形に、観客が呼吸を止めたのだ。
そもそも家老の息子が、山賊姿で出て来るのに
疑問を感じていた人々は、なるほどと納得。
この演じ方は、継承され、
現代にまで続く。

もちろん仲蔵は定九郎だけを演じたのではなく、
立役・敵役・女形のほか、所作事を得意とした。
「舌出三番叟」のほか、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相、
「義経千本桜」の権太と狐忠信、「関の扉」の関兵衛、
「戻籠」の次郎作、「娘道成寺」の白拍子などが当り役であった。
著書に「秀鶴日記」、」秀鶴随筆」、自伝「月雪花寝物語」などがある。

2021年12月4日と11日にNHKのBSプレミアムで
2回に分けて放送されたもの(89分)を、
BSでの放送ではなかった映像も追加した新たな編集で
1話38分×5話に再構成し(倍の3時間10分)、
2022年12月10日と17日に地上波の総合テレビで放送。

中村仲蔵を中村勘九郎が演ずる。


明るい持ち味がうまくマッチして、
やはり血筋だなあ、と感じさせる出来。
女房のお岸を演ずるのは上白石萌音
これが素晴らしく、
気っ風の良さを演じさせ、
三味線を弾き、「奴さん」「かっぽれ」の替え歌を歌う。
はじめ吹き替えかと勘違いするほど、良い声と節回し。


四代目市川團十郎は市村正親
劇団四季の出身なのに、堂々たる歌舞伎の口跡を聴かせる。


義母の志賀山お俊の若村麻由美
どこで習ったのか見事な踊りを見せる。
仲蔵の師匠である二代目中村傳九郎を演ずる高嶋政宏もいい味。
仲蔵にインスピレーションを与える謎の侍を藤原竜也
金井三笑の段田安則
奈落の守り神の石橋蓮司
みんないい。
脚本・演出は源孝志
三味線の音楽効果は抜群。

狂言廻しのかわら版屋の吉田鋼太郎によって、
歌舞伎の基礎知識を分かりやすく説明し、
江戸歌舞伎の稽古の様子なども興味深く観ることができる。

日頃、韓国ドラマに押されている日本のドラマだが、
この「中村仲蔵」はよかった。
やはり、歌舞伎モノは、
俳優にも脚本家にも演出家にもDNAが作用するのだろう。