鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

メモ書きあれこれ@ダンケルク

2018年03月11日 18時48分48秒 | ダンケルク
ただでさえ歴史に詳しくない、ヨーロッパに詳しくないワタクシ、ダンケルクにハマって以降、あれこれについて知りたいのに基礎知識がなさすぎて悶絶しております。
入り口にさえたどり着いとらん。

パイロットについてのあれこれを知りたくても全然わからん。
フォーティスがどこに所属してたのか、とかね。
ということで、本を覗き込みながらお勉強中です。ああ、学生時代に無駄な勉強なんて何一つなかった。むしろ、必要最低限の勉強でしかなかったんだ、あのカリキュラム。という感じです。教訓は身につかない!

(以下はメモ書き)

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元イギリス軍将校バーカーによる「イギリス軍の大撤退作戦 ダンケルクの奇跡」に、ドイツ空軍のパイロットの証言があった。
「私はダンケルクが大嫌いであった。そこへ行くときは易々と敵を殺すだけだったからである。海岸は敵兵でいっぱいであった(中略)地上の目標に対し、機関銃を撃ちまくった。」

トミー、よく生き残ったなあ...。
イギリス軍のドイツ空軍に対する抵抗手段はライフル銃だったそうで、映画に出てきてた兵士の抵抗(どう頑張っても届きそうにない効き目のなさそうな対人用の銃でドイツ軍の飛行機を撃ってた)は史実に近いものだったんだなあ。
実際、そのことを写した写真も帝国戦争博物館にあったし。

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今更だけど、ダンケルク撤退作戦て9日間で遂行されたんだね。知らなかった...。9日で33万人の将兵を敵地から撤退させたのか。
オペレーションの中枢部が置かれたのは、イギリス南部の町ドーバーにあるドーバー城の地下にある「ダイナモ」ルーム。
ラムゼー中将(提督)以下16人の主要スタッフで遂行とあるが、30万人を撤退させるビックプロジェクトに16名って結構少数精鋭だったのかしら...。

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ダンケルクについて、米国人同僚(ゴジラ大好き)と話をしてたら、「あれはEvacuation(避難,退避)の話でsurvivalの映画。シンゴジに近いものがある」という感想をいただき、なるほどと膝を打った次第。
物語の余白がある、というのも共通してる感じがする。だからこそ、観客のバックグラウンドが重要になってきそう(受け手側が豊かであればあるほど豊かなダンケルクの物語が醸されるというか)。

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ダンケルク及びイギリス海峡上空の航空部隊の任務の担当は第11戦闘機群で、戦闘機は16個中隊(約200機)。
(イギリス空軍の第11飛行連隊はロンドンを含むイングランド南東部、12連隊がイングランド中部、10連隊がイングランド南西部。さらに、飛行連隊の防空域をいくつかのセクターに区切っていた。セクターごとに管制基地がある。)

1940/5/27に会敵した第74中隊のスピットファイアが11機、第56中隊+第610中隊のハリケーン+スピットファイア20機とあるけど、コリンズたちフォーティス隊は、どこの中隊に属していたのかな。
マンストン?それとも別の基地?
史実でも、「イギリス空軍は何をしている?」というのは陸軍や海軍にとっても同じ認識であったらしい。地上や海上から空軍の戦闘を確認することは困難だった。イギリス空軍が任務を果たしていることを知っているのは、同じ高度で制空権を得るために戦うドイツ空軍だった。
フレンドリーファイア(友軍誤爆)にもよくあっていたらしい。皮肉。

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ハリケーン及びスピットファイアの滞空時間は目標地域の上空に40分しか留まることができる程度、とあるから、戦闘機って本当に長距離飛行ができないんだなあ。
隊長が帰還できる燃料を残せ、と言ってた理由はこれかな。

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爆撃機のパイロットのエンブリー中佐(当時)の話が面白い。ダンケルクで彼の乗った爆撃機が撃墜された後、彼はドイツ軍に捕まったがドイツ兵を殴り倒したりなんだったりで脱出。カカシの服を奪い、自転車でフランスを移動したりして10週後にイギリスに帰ったらしい。
ファリアならこれで自力で脱出できそうな気配。