愛知県芸術劇場で上演された「金閣寺」を観覧してきました。

原作:三島由紀夫
舞台監督:宮本亜門
主演:森田剛(V6)
三島由紀夫が好きなのと、
宮本亜門の舞台が好きなのと、
森田剛君が好きなのと、
イロイロなことが重なって、舞台チケットをゲットして行って参りました。
吃りの青年、それゆえに外界との繋がりを閉ざした青年。
見目が美しい訳でもなく、運動が出来る訳でもなく・・・周りから嘲笑されて誤解され、コンプレックスに苛まれている童貞の青年。
ぼくとつな田舎の青年である溝口を、森田剛くんが「三島文学」らしい濃厚な味に仕上げておりました。
コンプレックスに苛まれ、自らを「大事にし過ぎた」青年が、舞台の上にありました。
森田剛くんを拝見するのは、むかしむかーし視聴していた「学校へ行こう」といったバラエティー番組しかないのだけれど、その時の姿からは、かけ離れた俳優がそこにありました。
天才だな・・・と思いました。
三島の匂いを纏える俳優というのは、数少ないが、彼はその希有な例に入ると思う。
正直、3F席からの鑑賞だったので豆粒だったのですが、それでも顔の表情が伺えるくらいに強烈な光を放っておりました。
吃りを嘲笑しなかった青年、鶴川に太陽を見て、
自身の障害を嗤いながら武器とする青年、柏木に闇を見て、
そんな青年が、コンプレックスを燃やし尽くして乗り越えようとする道程・・・。
父親を投影させていた法師に罪の懺悔も出来ず、
友人に犯した罪の真実を告げず、
自身を大事にしすぎてコンプレックスを乗り越えることも、飼い殺すことも出来なかった青年が、放浪のはてに放火を決意するまでが、醜く卑小で、そして共感をとても感じた。
私とても、コンプレックスから逃れることが出来ないものなのだから。
自身の持ち得る醜い気持ち悪い感情を、なま爪で引きはがしにかかられるようだった。
溝口は自身のコンプレックスの果てに見た金閣寺を燃やした後、タバコを拭かして「生きよう」と呟いた。
その呟きにどっと救われて、「悲劇的な」舞台に幕は下りた。
私にとっての金閣ってなんだろう。
今現在の私の中に巣食う醜いコンプレックスを私はどう燃やすのだろう。
それを燃やし尽くした時、私も「生きよう」と呟けるのだろうか。
原作者の三島由起夫自身も、自らの顔や体格にコンプレックスを抱いていた。
強烈な美意識故に、自らの馬面のような顔をいやがった彼は、自身の顔を鏡で覗くのをいやがっていたようだった。
学習院に通っていた学生時代にひょろひょろの体を野次られた彼は、ボディービルダーによって体を鍛え上げていた。
様々な波紋を投げかける悲劇的なコンプレックスの捻れを見たようだった。
人というのが、醜く威厳も無く、美しいことだ、という認識を新たにした次第。

原作:三島由紀夫
舞台監督:宮本亜門
主演:森田剛(V6)
三島由紀夫が好きなのと、
宮本亜門の舞台が好きなのと、
森田剛君が好きなのと、
イロイロなことが重なって、舞台チケットをゲットして行って参りました。
吃りの青年、それゆえに外界との繋がりを閉ざした青年。
見目が美しい訳でもなく、運動が出来る訳でもなく・・・周りから嘲笑されて誤解され、コンプレックスに苛まれている童貞の青年。
ぼくとつな田舎の青年である溝口を、森田剛くんが「三島文学」らしい濃厚な味に仕上げておりました。
コンプレックスに苛まれ、自らを「大事にし過ぎた」青年が、舞台の上にありました。
森田剛くんを拝見するのは、むかしむかーし視聴していた「学校へ行こう」といったバラエティー番組しかないのだけれど、その時の姿からは、かけ離れた俳優がそこにありました。
天才だな・・・と思いました。
三島の匂いを纏える俳優というのは、数少ないが、彼はその希有な例に入ると思う。
正直、3F席からの鑑賞だったので豆粒だったのですが、それでも顔の表情が伺えるくらいに強烈な光を放っておりました。
吃りを嘲笑しなかった青年、鶴川に太陽を見て、
自身の障害を嗤いながら武器とする青年、柏木に闇を見て、
そんな青年が、コンプレックスを燃やし尽くして乗り越えようとする道程・・・。
父親を投影させていた法師に罪の懺悔も出来ず、
友人に犯した罪の真実を告げず、
自身を大事にしすぎてコンプレックスを乗り越えることも、飼い殺すことも出来なかった青年が、放浪のはてに放火を決意するまでが、醜く卑小で、そして共感をとても感じた。
私とても、コンプレックスから逃れることが出来ないものなのだから。
自身の持ち得る醜い気持ち悪い感情を、なま爪で引きはがしにかかられるようだった。
溝口は自身のコンプレックスの果てに見た金閣寺を燃やした後、タバコを拭かして「生きよう」と呟いた。
その呟きにどっと救われて、「悲劇的な」舞台に幕は下りた。
私にとっての金閣ってなんだろう。
今現在の私の中に巣食う醜いコンプレックスを私はどう燃やすのだろう。
それを燃やし尽くした時、私も「生きよう」と呟けるのだろうか。
原作者の三島由起夫自身も、自らの顔や体格にコンプレックスを抱いていた。
強烈な美意識故に、自らの馬面のような顔をいやがった彼は、自身の顔を鏡で覗くのをいやがっていたようだった。
学習院に通っていた学生時代にひょろひょろの体を野次られた彼は、ボディービルダーによって体を鍛え上げていた。
様々な波紋を投げかける悲劇的なコンプレックスの捻れを見たようだった。
人というのが、醜く威厳も無く、美しいことだ、という認識を新たにした次第。