赤松円心の次男貞範が築城したと伝わる山城(標高324メートル)です。
赤松氏の守護代として最盛期には播磨国西八郡を領した宇野氏の居城長水城の支城となり家臣に守らせます。
宇野氏は毛利氏と通じて、中国地方へ進出した羽柴秀吉と対立します。
天正 8年(1580年)秀吉に攻められ長水城と共に落城。
天正12年(1584年)7月 官兵衛は秀吉から宍粟郡を与えられます。
山崎は最初に大名(1万石)となった地です。
天正15年(1587年)7月 官兵衛、豊前国に移封されます。
土塁の上に篠の丸城跡の石碑が有ります。
「黒田家譜」によると官兵衛は山崎の城を居城したとありますが、この篠の丸城が山崎の城にあたるのではないかと考えられています。
その城主であった期間はほんの数年で、その時官兵衛は秀吉の軍師としてともに各地を転戦したため、
山崎の地と官兵衛のエピソードは何一つ残っていないそうです。
また官兵衛の次男熊ノ助がここで出生したとも言われています。
主郭(本丸)
主郭からの眺望(千種川)
妙見宮跡
西の堀切
篠の丸城跡立体地図(縄張図)
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