森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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中田英寿の涙 -その引退に想う
日本が1勝もすることなく、決勝トーナメントへの進出が絶たれた瞬間、中田英寿は天を仰いだ。それも、自ら90分たたかってきたピッチに横たわりながら。そのとき中田の目はわずかに涙ぐんでいたように私には思えた。
その後、中田が引退を発表したとき、ほとんどの日本のマスコミは、私の知るかぎり「突然の引退」と報じた。だが、私はそうは思わなかった。決勝進出しても、しなくても、中田は引退を決意していたのではないかと今でも思っている。すでに中田は引退を決意していたのだ。
そうであるならば、中田の涙はいったいどんな意味があるのだろうか?
その前に少し考えないといけない。『サンデーモーニング』で張本勲は、「あれはいけない」などと、中田が横たわったことをとらえてわけの分からないことを口走り非難したが、私は少しもそうは思わない。ピッチに横たわり、涙を浮かべたのがなぜいけないのか。中田が横たわったのは、ラグビーでいえばノーサイドが宣告されてからだ。むろんこの時、敵も見方もない。まさに「ノーサイド」なのだ。ある意味で、選手たちがはじめて、一人の人間に戻るときなのだ。
自分をどのように表現するか、これは個人が決めることだ。こんな表現をできるところに他の人とはちがう中田を私たちはみることができるのではないかと、私はひそかに思った。この点で、張本はもう、すでに過去の人と刻印されてしようがないと率直に思った。
中田の涙の意味したもの、それは裏返しの達成感だと思う。
中田はこれまで、冷徹さがゆえに、この冷徹さにまつわりサッカー選手としての「姿勢」を云々されてきた。だが、この冷徹さは、日本というチームにとって欠くべからざる条件ではなかったか。中田をおいて、だれがその役割を果たしえたのか。だれもできなかったと私は思う。自らのことを離れて、だれが他者のことを、チームのことを視野に入れることができたのか。結果的に、中田と、その他の日本代表の選手それぞれの、この点での力量の違いが我われの前に明らかになったにすぎないと私は思う。
おそらく中田は、自らと他の選手たちとのギャップが最後まで埋められなかったことについて承知していたにちがいない。中田と、それ以外の代表選手―その誰もが日本では突出して秀でた選手であることにちがいはないのだがーとは明らかにちがった。私の目には少なくともそう映った。
中田と他の代表選手との違いは何か。
それは、予測不可能なことを、決定可能なものにどう切り替えていくか、その力量の差によっている。中田の判断力は、他のどの代表選手のそれにも置き換えることができなかった。このブログで先にイチローの「三振する技術」にかんしてそのことをとりあげたが、中田はこの域に十分に達していたと思う。
別の言葉でいえば、今回のワールド杯の日本の結果は、中田にとっては、予測可能であったのかもしれない。中田の涙は、その意味で、裏返しの達成感の表れであると思う。
自らの主張=哲学といってもよい―をもつ。中田以上に、これがぴたりとあてはまる選手は日本チームにはいない。サッカーと大リーグの違いはあるが、おそらくこの文脈で今後、中田とイチローは並び称せられることになるだろう。
中田の涙は、そのことをはっきりと伝えているのだ。
その後、中田が引退を発表したとき、ほとんどの日本のマスコミは、私の知るかぎり「突然の引退」と報じた。だが、私はそうは思わなかった。決勝進出しても、しなくても、中田は引退を決意していたのではないかと今でも思っている。すでに中田は引退を決意していたのだ。
そうであるならば、中田の涙はいったいどんな意味があるのだろうか?
その前に少し考えないといけない。『サンデーモーニング』で張本勲は、「あれはいけない」などと、中田が横たわったことをとらえてわけの分からないことを口走り非難したが、私は少しもそうは思わない。ピッチに横たわり、涙を浮かべたのがなぜいけないのか。中田が横たわったのは、ラグビーでいえばノーサイドが宣告されてからだ。むろんこの時、敵も見方もない。まさに「ノーサイド」なのだ。ある意味で、選手たちがはじめて、一人の人間に戻るときなのだ。
自分をどのように表現するか、これは個人が決めることだ。こんな表現をできるところに他の人とはちがう中田を私たちはみることができるのではないかと、私はひそかに思った。この点で、張本はもう、すでに過去の人と刻印されてしようがないと率直に思った。
中田の涙の意味したもの、それは裏返しの達成感だと思う。
中田はこれまで、冷徹さがゆえに、この冷徹さにまつわりサッカー選手としての「姿勢」を云々されてきた。だが、この冷徹さは、日本というチームにとって欠くべからざる条件ではなかったか。中田をおいて、だれがその役割を果たしえたのか。だれもできなかったと私は思う。自らのことを離れて、だれが他者のことを、チームのことを視野に入れることができたのか。結果的に、中田と、その他の日本代表の選手それぞれの、この点での力量の違いが我われの前に明らかになったにすぎないと私は思う。
おそらく中田は、自らと他の選手たちとのギャップが最後まで埋められなかったことについて承知していたにちがいない。中田と、それ以外の代表選手―その誰もが日本では突出して秀でた選手であることにちがいはないのだがーとは明らかにちがった。私の目には少なくともそう映った。
中田と他の代表選手との違いは何か。
それは、予測不可能なことを、決定可能なものにどう切り替えていくか、その力量の差によっている。中田の判断力は、他のどの代表選手のそれにも置き換えることができなかった。このブログで先にイチローの「三振する技術」にかんしてそのことをとりあげたが、中田はこの域に十分に達していたと思う。
別の言葉でいえば、今回のワールド杯の日本の結果は、中田にとっては、予測可能であったのかもしれない。中田の涙は、その意味で、裏返しの達成感の表れであると思う。
自らの主張=哲学といってもよい―をもつ。中田以上に、これがぴたりとあてはまる選手は日本チームにはいない。サッカーと大リーグの違いはあるが、おそらくこの文脈で今後、中田とイチローは並び称せられることになるだろう。
中田の涙は、そのことをはっきりと伝えているのだ。
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