リピーター

2016-11-11 13:32:59 | 日記
DVDが出るまで待とうかと思ったのだけれど、
金曜日のレディースデーに予定がない。
もう一回観てきた。『君の名は。』

何度か体中がジンジンと震えた。
魂が喜んでいる。
そう思った。

このアニメーションを創るのに、大勢の人が魂をこめて作業したんだろう。
そう感じた。

そして、こだわりを棄てようと思った。
原則、映画館で邦画は観ない。
まずそれを棄てようと思った。

三葉と瀧くんは、再会するのに5年かかった。
いや、三葉の方から見れば8年だ。
8年。
私がIGUちゃんのことを好きになって、忘れる決心をしたまでがそれくらい。
あの頃は長い時間だと思った。

8年かあ。
8年後には、私は63歳。
過ぎてしまった時間は早く感じるけれど、
これからの8年はとても長い時間に感じる。

本当の私

2016-11-11 08:26:51 | 霊性
本当の私はどんな人間だろう?

中学までの私は本当の私だっただろうか?
若い頃の私は本当の私だっただろうか?
子育てしていた頃の私は?
そして今の私は…。

本当の私は…。
そうだな。まず思い浮かんだのは、年齢を気にしないということ。
この歳になったから、こういう風に考えなきゃいけないとか。
そうは思いたくないなあと思ってきた。
子供に対する態度。
よく言われることに、親は自分が子供だった頃のことを忘れて子供に接するということがあると思う。
自分も子供だった頃があるのに、子供の気持ちがわからないと。
確かに子供の気持ちはわからない。
子供に限らず、どんな自分以外の人の気持ちもわからないのだ。
でも私は、子供がこんなことやりたいんだろうなって思うことをできるだけ妨害?しないようにと思ってきた。
だって、子供は私とは別人格。
自分がやりたいことをやってみないと、自分で自分の責任を取って生きて行くことはできないんじゃないかと。
そんな風に思っていた。
理解のある親でいたいとか、そういうことが全く無かったわけではないかもしれない。
でも、自分で決めた道でないと納得して歩いて行けないではないか。
自分がそうだったから。
自分で決めたことだから、失敗しても納得して生きてこれらた。

そして本当の私は…。
本当の私は、人と話すのが好きだ。
今は心から好きだと言えない気がする。
でも、本当の私はきっと、人と話したいのだろうと思う。
そうだ。思えば、小学生のころ、私に貼られたレッテルは「おしゃべり」だった。
そして「早口」だった。
いつから人と話すのが苦手になったのだるう?
自己嫌悪だったり、批判だったり、
それこそ後から身につけた諸々のものによって話せなくなったのじゃないだろうか?

愚痴

2016-11-03 23:01:52 | 戯言
このブログを始めた時に書いた。
できれば愚痴の集積場にはしたくないと。
でも、人に愚痴を言うくらいなら、ここに書いた方がいいのじゃないかと思う。
でも、どこでどんな風に愚痴を言っても、親友のMちゃんに言わないとすっきりしないのだ。
どうしてだろう?
私は、大切なMちゃんのことをゴミ箱にしているのだろうか?

元々私は人の愚痴を聞くのが嫌いではなかった。
私が聞くことで、その人の気分がすっきりするのならそれでいいじゃないかと思った。
それに、友達の愚痴はそうそう的外れなことを言っているわけじゃない。
共感できることも多かった。
愚痴は本音の入口だと思っていた。
だから、人に愚痴を言うのはその人をゴミ箱にすることという言葉にはなかなか納得がいかなかった。

でも、一度ゴミ箱だなと思ったことがある。
えりかさんという人は、心に闇を抱えていたのだけれど、
心理学を学んでいたので、自分が癒されるにはどうしたらいいのかということに知識を持っていた。
自分が癒されるには、人に話を聞いてもらうこと。
ただその相手に意見されてはいけない。
共感できないなら、ただ頷いて聞くだけでないといけない。
それは、心に闇を抱えている人との正しい接し方なのかもしれない。

でも、私にはそんな知識はなかったし、
私は、人が悩んでいればきちんとそのことについて考えて、何か言ってあげるのが友達だと思っていた。
それでえりかさんは私のことを疎ましく感じるようになったのだろう。
私もえりかさんの考え方・やり方にどうしても納得のいかないものを感じて、
当然のように衝突が起こった。
その後で、少しやり取りが回復した時に、私が「愚痴を聞くのが嫌なわけじゃないのだけれど…」と言うと、
えりかさんは待ってましたとばかりに私に愚痴メールを送ってきた。
ちょっと待ってよ!
私はその愚痴に何も言ってはいけないんでしょ?
それじゃ本当にゴミ箱だよ。

愚痴を言うと、意識がそこに集中するので、すっきりするどころか余計にその内容にわだかまってしまうのだと言う。
確かに愚痴を言った日は、そのことを考えてしまう。
でも、大抵は次の日にはすっきりして忘れる。
忘れるは言い過ぎかもしれないが、もうそのことにこだわらなくなる。
私の場合。
だから、愚痴を言うこと自体がそこまで悪いことだとは思えない。
溜め込んで心の中に澱ませてしまうよりいいのじゃないか?

愚痴をできるだけ言わないようにしてからは、
愚痴を言いたい時は、「これは愚痴ではない」と自分に言い聞かせて、
できるだけ事実だけを述べるようにしてきた。
でも、心の中では思っていた。
これって愚痴だよな?
でも、それでなかなかうまくやっていられた時期も長かった。
それが今はどうだ?
愚痴が言いたくて仕方ない。
情けない。
でも、言う相手がいない。
Mちゃんにもこれ以上できることなら言いたくないのだ。
でも会ったらきっと言ってしまう。
だからこちらからコンタクトをとることをためらってしまう。

うーん…。
それも本当はちょっと違う。
でも、今はきっと少しおとなしくしていた方がいいんじゃないか。
そんな風に思う。

言葉

2016-11-02 23:10:38 | 日記
目が覚めた時、頭に浮かんだこと。
「気が付いたら、あっという間に11月ですね?」
という言葉で始まる手紙(orメール)を誰かに書こうと思った。
誰に?
誰に書こうと思ったんだろう?
誰か、そんな手紙を書く相手がいたような気がするのだけれど、思い当たらない。
普段連絡を取り合っている友達には、わざわざそんなこと書かない。
あの子かな?それともあの人かな?
誰も違う気がする。

トイレに掛けた格言の書いたカレンダー。
私は、月が変わるまで先の格言を読まないようにしている。
11月の格言は、「歳月は書物より多くを教える」。
本当にそうだろうか?
確かに、この歳になったからわかることもある。受け入れられることもある。
でも、この30年、ほとんど成長していないなあと、ここのところ思っていた私には疑問符が浮かぶ。
ここ何年かで読んだ本から、とても多くを学んだと思っているし。

朝一番で開いたフェイスブック。
こんな言葉が飛び込んできた。
「人の欠点が気になったら 器が小さい人物
 他人の短所が見えなくなったら 相当の人物
 長所ばかり見えてきたら 大人物です!」
うーん…。
痛いとこ突かれたなあという感じ。
ここのところ、人の欠点ばかりが気になっていた私。
これはやっぱり、今の私を戒めるための神様からのメッセージ。