紅葉狩り

2016-11-17 11:31:43 | 日記
多分、紅葉狩りなんてものは、今までの人生で経験したことがないんじゃないかと思う。
とにかく混んでいるところに行くのが嫌いな私。
多少の人混みならいいのだけれど…。
駐車場に困るのが一番嫌だ。
元々感性も薄く、都会派の私は、自然にもあまり興味がなかったのだろう。

そんな私が、フェイスブックにアップされる紅葉の写真を見て、紅葉が見たくなった。
以前、そのうち遠出しましょうと声をかけてくれていた友達に連絡してみる。
運転は得意だからどこにでも行くよと言っていた彼女。
話はとんとんと進み、彼女は他の選択肢なんてないといった感じで、
この辺りで一番の紅葉の名所に行くことになった。

そこは、私の実家から夫の実家に直接行く時には通る場所で、
前のメイン道路もあまり広くなく、よく渋滞していて、
紅葉の時期には、とても通れたものじゃないというイメージ。
若い頃、誰かと行ったことがある。多分Tくん。
紅葉の季節ではなかったと思う。

昼間に出かけた人が帰り始める頃、そして夜来る人はまだちょっと早いかな?と思われる夕方に行くことにした。
大当たりで、渋滞にも会わず、駐車場にもまだまだ余裕があるという感じだった。

まだ時期がちょっと早いのかな?どうかな?と思って行ったのだけれど。
とても素晴らしかった。
同行の彼女は、毎年のように行っているらしいが、
こんないい時期に当たったのは久しぶりと言う。

自然はすごいなあ。
こんなに鮮やかな、様々な色を創り出してしまう。

思ったよりもずっと広くて、私は物珍しさに、あっちにもこっちにもと歩き回る。
日が落ちてきて、ライトアップが始まる。
自然の赤・緑・黄色…、それらの色はわからなくなるが、
ライトアップされた金色に輝く風景も、それはそれで素晴らしい。

分かれ道があるたびに、まだ行っていない方の道を選ぶ。
上り坂になっている道を見て、「行ってみる?」
小高い山の山頂に向かう道らしい。
それがなかなかキツい。
一応階段が造られているが、今の整備された疲れにくい段幅みたいのが考えられているようなものではない。
途中で心臓がバクバクになる。
ここで倒れても、病院に運んでもらえるだろうな、などと考えてしまう。
夏に行った伏見稲荷よりずっとキツい。

これで終わりかな?と思える開けた場所に出る。
そこでしばらくのんびりするが、まだ先に階段がある。
そこから先はライトもなく真っ暗。
まだ先がどれくらいあるのだろう?
取り敢えず角のところまで上って、様子を見てみる。
山頂はすぐだった。
休憩所のようなベンチを設えた建物がある。
そこに座る。
目の前の、下からの光に照らされた木を見ていると、不思議な気分になる。

これらの木々は、一体いつからここに立っているのだろう?
麓の神社に縁起が書いてあったけど、何年て書いてあったかな?
私が生まれるずっとずっと前から、ここに立っていて、
移りゆく世の中などものともせずに生きてきたんだろうな。
そして、私の何世代も前の時代の人たちが、この同じ木を眺めてきたのだろうな。
風もなく、そよとも動かない目の前の木を見ながらそう思う。

木を照らす光以外は真っ暗で、あまり話す人もなく、しーんと静かで、
そして、寒過ぎはしないけれど、空気がじーんと冷たい中、
自然と瞑想をしたい気分になる。
目を瞑ってしばらく過ごす。
気持ちが入る前に、隣の彼女に話しかけられて瞑想はできなかったけれど。
あんな気分には滅多になれるものじゃない気がする。

若い頃、暗かった頃、車で1時間くらいの名勝地と言われる場所に時々一人で出かけた。
行って何をするでもない。
ただぼーっと湖を眺めていた。
今後、そんな気分の時はここに来てみようかと思った。

とにかく素晴らしい時間を過ごせた。
連れて行ってくれた彼女に感謝である。
彼女と出逢えたことに感謝。
「知り合い」から、「友達」になってくれたことに感謝である。