「心と体と」(「TESTRÖL ÉS LÉLEKRÖL」、2017年、ハンガリー)
監督 イルディコー・エニェディ
脚本 イルディコー・エニェディ
撮影 マーテー・ヘルバイ
作曲 アーダーム・バラージュ
出演 ゲーザ・モルチャーニ
アレクサンドラ・ボルベーイ
レーカ・テンキ
♪身も心も 身も心も 一ツに溶けて 今~♪(「身も心も」作詞 阿木耀子 歌 ダウンタウン・ブギウギバンド)
百恵、淳子、昌子、花の中3トリオと同世代なら、多分、知ってるロック・バラード曲。
タイトル見て、即、この曲名が浮かんだけど、観てみたら、やっぱりそうだった。
と言っても、相当、捻くれてますが。(笑)
ハンガリー首都ブタペスト郊外の食肉工場で管理職をしてる中年末期、片腕が利かない障害者のエンドレ。
その工場へ代理採用された若いマーリアがやって来る、綺麗な顔立ちながら人とコミニケーションが取れず機械のようにしか対応出来ない彼女は当然ながら孤立、だが、慣れている彼女は気にも留めていないよう。
そんな時、工場で動物用危険薬品の盗難事件が起き、会社は警察と合わせて心理カウンセラーにも捜査を依頼した。
そのカウンセリングの過程で、エンドレとマーリアが同じ時間、同じ夢を見てる事が二人に解る・・・。
(マーリアはアスペルガーかサヴァン症候群によりコミュニケーション障害で異常な記憶力を持っていた、彼女自身、心理療法を受けている~僕は病気に詳しくないので症例は適当推測)
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=AsDpqKcDwGw
エンドレの主観とマーリアの主観が行ったり来たり。
二人の見る「夢」が唯一、客観の世界だったけど、それも徐々にそれぞれの主観に引き寄せられてきます。
ちょっと、半世紀前のヌーヴェル・ヴァーグを思い起こさせる作風。
孤独な二人が「夢」という一種の神によって引き合わされる訳で、神に導かれた二人なら落ち着く先も決まりでしょう。(笑)
「心と体と」
物語中盤の朝、職場でマーリアにエンドレが声を掛けます。
「素晴しかったよ」
カウンセラーから夢の世界で交尾したのか?と聞かれ(夢では雌雄の鹿二頭)、二人とも否定してるし我々も見ていない、けれど、この晩の夢だけは映像が無くてエンドレの台詞が感想になってるから、ここで「心」は合体したのでしょう。
そこから身体を合わすまでの物語。
この部分の繊細さが、この作品の一番の部分だと僕は思います。
障害と年齢差のある二人の微妙な距離のやり取りと行き違い、そこは、この観念的ともいえる物語の中で具体的によく描けてる。
只、筆の置き所が違うと僕は感じました。
工場での食牛の・解体現場の克明な描写と同じく、話は二人の合体シーン(別にヌードが有る訳ではない)を執拗に描いて、更に、その後まで続くのですが、夢(神)に導かれた二人なのだから、その前、マーリアが自分のアパートの部屋を出て行くシーンで終われると思うんですよね。(自分だけの閉ざされた世界から出て行く)
確かに他人との接触恐怖症で感情を表に出さず表情の少ないマーリアが、好きな男と初めてSexをして(接触恐怖症の克服)、二人で摂る朝食時に初めて笑顔を見せる事に大きな意味が有るのは解るけど、もっと簡潔に出来る気がしました。(強度に神経質な所とか、全てが改善過程の途中で、二人のこれからに懸かってる事も)
・解体シーンの意味が今でもよく解らないのですが、このラストの描き過ぎも解らない。
監督、偏執狂なんだろか。(汗)
マーリア役のアレクサンドラ・ボルベーイが大人なのに少女のような可愛さも有って、奇人変人だけど惚れられてみたいです(笑)、ああいう唇に滅法弱い。
それを置いても好演だったと思います。
好みの別れる作品でしょう、結局、運命論的映画という「何だかな」という感じはあるけど、繊細さと孤独感は上手く描けてると思います。
※心が先に結ばれ身体が後、身体が先で心が後(「ジョンとメリー」ets)、この語り口はそれ程、新鮮という訳ではない。
※マーリアの異様な記憶力、故・淀川長治さんと同じ分類。(決して淀川さんを貶めて言ってるのではありません、僕は淀川氏を尊敬しています)
※牛の(高圧電気ショック)・解体が延々と続くシーン有り。苦手な人、注意!
H30.4.28
新宿シネマカリテ
「心と体と」 その2
監督 イルディコー・エニェディ
脚本 イルディコー・エニェディ
撮影 マーテー・ヘルバイ
作曲 アーダーム・バラージュ
出演 ゲーザ・モルチャーニ
アレクサンドラ・ボルベーイ
レーカ・テンキ
♪身も心も 身も心も 一ツに溶けて 今~♪(「身も心も」作詞 阿木耀子 歌 ダウンタウン・ブギウギバンド)
百恵、淳子、昌子、花の中3トリオと同世代なら、多分、知ってるロック・バラード曲。
タイトル見て、即、この曲名が浮かんだけど、観てみたら、やっぱりそうだった。
と言っても、相当、捻くれてますが。(笑)
ハンガリー首都ブタペスト郊外の食肉工場で管理職をしてる中年末期、片腕が利かない障害者のエンドレ。
その工場へ代理採用された若いマーリアがやって来る、綺麗な顔立ちながら人とコミニケーションが取れず機械のようにしか対応出来ない彼女は当然ながら孤立、だが、慣れている彼女は気にも留めていないよう。
そんな時、工場で動物用危険薬品の盗難事件が起き、会社は警察と合わせて心理カウンセラーにも捜査を依頼した。
そのカウンセリングの過程で、エンドレとマーリアが同じ時間、同じ夢を見てる事が二人に解る・・・。
(マーリアはアスペルガーかサヴァン症候群によりコミュニケーション障害で異常な記憶力を持っていた、彼女自身、心理療法を受けている~僕は病気に詳しくないので症例は適当推測)
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=AsDpqKcDwGw
エンドレの主観とマーリアの主観が行ったり来たり。
二人の見る「夢」が唯一、客観の世界だったけど、それも徐々にそれぞれの主観に引き寄せられてきます。
ちょっと、半世紀前のヌーヴェル・ヴァーグを思い起こさせる作風。
孤独な二人が「夢」という一種の神によって引き合わされる訳で、神に導かれた二人なら落ち着く先も決まりでしょう。(笑)
「心と体と」
物語中盤の朝、職場でマーリアにエンドレが声を掛けます。
「素晴しかったよ」
カウンセラーから夢の世界で交尾したのか?と聞かれ(夢では雌雄の鹿二頭)、二人とも否定してるし我々も見ていない、けれど、この晩の夢だけは映像が無くてエンドレの台詞が感想になってるから、ここで「心」は合体したのでしょう。
そこから身体を合わすまでの物語。
この部分の繊細さが、この作品の一番の部分だと僕は思います。
障害と年齢差のある二人の微妙な距離のやり取りと行き違い、そこは、この観念的ともいえる物語の中で具体的によく描けてる。
只、筆の置き所が違うと僕は感じました。
工場での食牛の・解体現場の克明な描写と同じく、話は二人の合体シーン(別にヌードが有る訳ではない)を執拗に描いて、更に、その後まで続くのですが、夢(神)に導かれた二人なのだから、その前、マーリアが自分のアパートの部屋を出て行くシーンで終われると思うんですよね。(自分だけの閉ざされた世界から出て行く)
確かに他人との接触恐怖症で感情を表に出さず表情の少ないマーリアが、好きな男と初めてSexをして(接触恐怖症の克服)、二人で摂る朝食時に初めて笑顔を見せる事に大きな意味が有るのは解るけど、もっと簡潔に出来る気がしました。(強度に神経質な所とか、全てが改善過程の途中で、二人のこれからに懸かってる事も)
・解体シーンの意味が今でもよく解らないのですが、このラストの描き過ぎも解らない。
監督、偏執狂なんだろか。(汗)
マーリア役のアレクサンドラ・ボルベーイが大人なのに少女のような可愛さも有って、奇人変人だけど惚れられてみたいです(笑)、ああいう唇に滅法弱い。
それを置いても好演だったと思います。
好みの別れる作品でしょう、結局、運命論的映画という「何だかな」という感じはあるけど、繊細さと孤独感は上手く描けてると思います。
※心が先に結ばれ身体が後、身体が先で心が後(「ジョンとメリー」ets)、この語り口はそれ程、新鮮という訳ではない。
※マーリアの異様な記憶力、故・淀川長治さんと同じ分類。(決して淀川さんを貶めて言ってるのではありません、僕は淀川氏を尊敬しています)
※牛の(高圧電気ショック)・解体が延々と続くシーン有り。苦手な人、注意!
H30.4.28
新宿シネマカリテ
「心と体と」 その2