うす紫色なので、遠くから見ると木全体がうっすらと紫色になっています。
近づいてみると・・・。
花のついている枝は上向きですが、花は下向きです。
こちらはずんずん成長中のタケノコ。
タケノコ(筍)は、竹の子だったのですね。
今年初めてツバメを見ました。
南の島から到着したばかりなのでしょうか。
しきりにある家の玄関に出入りしています。(上の写真)
よその家なので気を遣いながらそっと覗いてみると、巣はありません。
このツバメ、巣作り好適箇所を探し、これから “家庭” を作ろうとしているのかもしれません。
雨上がりの日曜日はジョギング好適日。 走っている人をたくさん見ました。
青空が広がり、どこも緑がとても鮮やかです。
上の写真、道路が赤っぽく見えるのは、アンツーカーが敷いてあるからではありません。 桜の木から花のガクが落ちてきて、積もったのです。
*アンツーカー: 水はけのよい人工土。 それを敷いた場所。 (念のため)
台東区方面に所用があり、ついでに浅草を歩いてきました。
浅草寺は「平成本堂大営繕」中とのことで、本堂全体が白い被いでおおわれていました。
でも正面から中に入ることはできます。
善男善女が大勢訪れていました。(上の写真)
仲見世脇に幼稚園があるのを初めて知りました。(浅草寺幼稚園)
ちょうど退園時間のようでした。 庭にいるたくさんの子供たちのかわいい声でとても賑やかです。 おかあさんたちが迎えに来ています。
それが参道の脇なので、外国人観光客がカメラを向けていました。 観光地の中に人々のカジュアルな日常を垣間見ることのできた瞬間です。
考えてみれば、子供たちにとっては参道をぞろぞろつながって歩く大勢の観光客が ‘日常’ なのですね。
街中をめぐるバスが走っていました。
台東区民の日常の足でもあるのでしょうか、短時間で何台も見かけました。
浅草は人力車で見物するのもよさそうですが、このバスで回るのもいいかもしれません。
神谷バーで一休み。 電気ブランにまぐろのぬたで軽く一杯。
店内は平日の午後(早い夕方)なのに、客でいっぱいでした。 常連のおじさん方も多いようです。
「どうしたんだい? 森の石松かい」
白っぽい背広に山高帽をかぶった紳士がやってきて、わたしの隣で飲んでいたおじさんに話しかけました。 隣のおじさん、右目に白い眼帯をつけています。
「伊達政宗といってくれよ」
眼帯のおじさんが答えました。 二人は仲よし飲み仲間のようです。
これもカジュアルな浅草といえるのでしょう。 でも、さすが浅草、客同士の会話もなかなかしゃれているなあ。
家の小さな庭に、すずらんの花が咲きました。
すずらんは北海道の花というイメージがありますが、関東でも咲くのですね。
すずらんの英語の花言葉は chastity。
「純潔、貞節、上品でつつましい」
だそうです。
ほう、 chastity は、そこにあったのか・・・。 (庭のほうを見ながらひとり言)
池袋の東京芸術劇場です。
西口公園からの開放エントランスを入ると、大きな大きな吹き抜け空間があります。
天井は透明パネルでおおわれていて、採光は十分! このような天窓の大空間のことを 「アトリウム」 というようですね。
長い長いエスカレーターは、大ホール入り口のある5階フロアまで直接つながっています。
上の写真は、その5階から撮りました。
1階の「ユーロカフェ」で大空間を見ながら昼食。
コーヒー300円、トースト250円也。
*ここで突然ながら「言葉遊び」を一つ。 ‘無理問答’です。
問・・・先に入っても、アト(後)リウムとはこれ如何に?
答・・・後(あと)について走っても(車で)、サーキ(先)ットと言うが如し。
相撲の決まり手の一つ。 「相手の後ろにまわって土俵の外へ押し出すわざ」(広辞苑)。
押し出す、とあるが、 「送り出し」 には、押し出さずとも相手力士が自分から出ていくような語感がある。
「投げ」「倒し」「寄り切り」「押し出し」などの直接表現とは一線を画したレトリック(表現の美学)を感じないでもない。
もともと ‘送り出す’ には、 「出かける人の手助けなどをして、目的地へ無事出発させる」(広辞苑) という意味があり、送り出し手の愛情がにじむ言葉なのだ。
相撲の場合、「送り出し」を決められて、相手の愛情を感ずる力士はいないであろうけど・・・。
2009.4.9 (写真は東京新聞2009.3.31夕刊)
開花のピークです。
花が房ごと ボトン と落ちてきそう。
爛熟(らんじゅく)、触れなば落ちん、などというという言葉が頭をよぎります。
対岸では木々が芽吹きはじめました。
爛熟に対して「萌え」・・・・・対照的な木々の営みです。
埼玉県西部の日高市に友人たちと行ってきました。
ここは1300年前、高句麗(高麗)からの渡来人たちが住みついた地。 日本のなかの朝鮮文化を探る旅です。
高麗神社(こまじんじゃ)は、JR川越線高麗川駅からタクシーで5分ほどのところにあります。(写真上)
高麗一族の長であった高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を祭神とする神社です。
近づくと、本殿のほうからドーンと太鼓の音が響いてきました。
われわれを歓迎している太鼓・・・ではなく、お宮参りの赤ちゃんにお祓いをするときの太鼓だったようです。 初宮詣の家族連れを何組か見かけました。
こちらは高麗神社から歩いて5分ほどのところにある聖天院(しょうでんいん)。
高麗王若光の菩提寺として建立された寺院です。
木立を背景に威容をほこる丘の上の本堂。 歴史を感じさせる重厚な山門。 きれいに手入れされた斜面庭園、 そして周囲を彩る今まさに満開の桜・・・・・美しい景観のお寺でした。
帰りには高麗川駅近くの居酒屋で「高麗鍋 *」を賞味。 古代日朝交流史の一端に触れた一日でした。
*高麗鍋(こまなべ)・・・地場野菜に豚の三枚肉、豆腐、キムチの入ったピリ辛風味の寄せ鍋。 日高市の町興しの一環で開発された
“菜の花畑” には、昔むかしに受けたトラウマ(精神的外傷)がある。
小学校の一年生か二年生のときだった。 わたしは、 「なのはなばたけ」 を正しいアクセントで発音できなかったのだ。
菜の花(なのはな) は、最初の「な」にアクセントがある。
花畑(はなばたけ) は、「なば」にアクセントがある。
ところが、菜の花畑(なのはなばたけ) は普通、「のはなば」にアクセントがある。
それをわたしは、「なのはなばたけ」 と、「な」と「たけ」にアクセントをおいて言ってしまったのだと思う。 (この辺はよく憶えていない)
トラウマというのは、それを担任の先生に何回か言い直しさせられたことである。 クラス全員の前で・・・。
K先生という、まだ若い女性の先生だった(と思う)。 わたしの発音がおかしいと感じた先生は、正しい発音をみずから声に出して例示し、
「さあ、余白クン、もういちど言ってみなさい」
といった。
わたしはそのアクセントの違いを理解できた。 しかし、実際に声に出してみると、理解した通りにはならなかった。
先生は単に教育熱心なだけだったのだと思う。 あきらめず、 「もういちど」 とわたしに繰り返させた。 わたしは、またできなかった。
それを三回ほど繰り返したあと、 (どうしてできないんだろう) とでも言うように先生は首をかしげ、わたしへの指導をあきらめた。
そのときの自分に対するもどかしさと焦り、皆の前で言わされる恥ずかしさ、さらには屈辱感のようなものを、わたしは半世紀の余を経た今も忘れることができないでいる。
♪ 菜の花畑に 入り日うすれ
見わたす山の端 霞ふかし
童謡「おぼろ月夜」 の一節である。
ここでは 「♪ なのは~な ばたけえに」 の「なの」と「たけ」にアクセントがある。 わたしは当時、この曲の音感にひきづられていたのかもしれない。 いや、そうだったことにしておこう。
2009.4.1