興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

ビールの季節

2014-10-30 | 美酒・美味探訪

 ♪ 忘れられないの あの味が好きよ
   琥珀色してさ わたしを見てたわ

上の写真は10月から発売の季節限定ビール、サッポロクラシック2014富良野ヴィンテージです。

味が濃くて旨い!
実は毎年、この時季を楽しみにしています。


北海道でしか手に入らないこのビールは、缶を見ると「摘みたて生ホップ使用」「数量限定」とあります。

発売がこの時季になるのは、出来立て・摘みたてホップを使うからか、はたまた、季節、数量、地域と、三つの限定を意図的に重ね、希少価値を高めるためか。

おそらくその両方でしょう。

わたしにとって‘ビールの季節’は、容易に去りません。


「日本 国宝展」に行ってきました

2014-10-25 | 時には芸術気分

上野の東京国立博物館で今開催されている、「日本 国宝展-祈り、信じる力」を観にいってきました。

花より団子、美術より美酒のわたしですが、たまには文化の香りにも触れようというわけです。 

 

 

 

 

会場はとても混んでいて、展示数も多く、あとで「国宝展」以外の展示も慌ただしく見ましたので、正直なところたいへん疲れました(4時間近くもいました)。

でも、日本の文化財の‘粋(すい)’を直接目の当たりにできたことは、得がたい機会であったと思います。
(図録を買ってきたので、夜、ブランデーでもすすりながら、展示を思い出しつつ、じっくりと美の世界に浸ることにします)


「国宝展」以外で興味深かったのは、同時開催の「東アジアの華・陶磁名品展」でした。
日本、中国、韓国の陶磁の名品が、ほどよい数で(全部で45点)年代順に展示されていました。


東京国立博物館ニュース2014.10-11より

そのなかで、日本の縄文期の「火焔型土器」は、わたしの故郷、新潟県長岡市で出土したものです。

その複製(拡大されたもの)は、昔、新潟国体の聖火台にも使われ、小さいころから見てきましたが、本物を見たのは今回が初めてです。
(複製はたしか、今も新幹線長岡駅のホーム下コンコースにあります)

わたしが今回実際に見た火焔型土器の現物は、意外にも高さ40センチくらいの、たいへん小さなものでした。

火が燃え上がるようす(炎)を形にして、縁に飾ったこの鉢は、いったい何に使われていたのでしょう。
水や食料の入れ物としてか、あるいはそのまま飾り物としてか。ともあれ縄文人の創作力と、デザイン感覚には脱帽です。

韓国陶磁のコーナーにあった「青磁麒麟香炉」「白磁満月壺」は、今、たまたま読んでいる韓国の国宝の本に出てきたものでした。
それが突然目の前に現れたものですから、とても驚き、かつ嬉しく思った次第です。

その陶磁の色合い、形、大きさ・・・現物そのものの感覚は、本からは決して得られなかったものでした。

こちらの「東アジアの華・陶磁名品展」は、「国宝展」のように大勢の人で混みあっているということはありませんでした。
ゆっくり観ることができるので、おすすめです。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1678


柿畑

2014-10-19 | チラッと世相観察

こんなに背の低い柿の木があるのですね。

下のほうの枝に、たわわに実った柿は、地べたにくっついてしまっています。

木の高さは2メートルくらい。こういう品種の柿なのでしょうか。

一面に広がっている景観は、梨畑、ぶどう畑ならぬ‘柿畑’です。

 

 

 

 

「リホーム」と、さる建築会社の窓に書いてありました。
いうまでもなく「増築、改築」のことですね。

今はリホームでなく、‘リフォーム’というのが一般的でしょうか。

それで思い出すのは駅のプラットホームです。
原義から言えばプラットフォーム(platform<平らな形>)なのでしょうが、こちらはなんといってもプラットホーム。

 ♪ プラットホームの 別れのベルよ
   さよなら さよなら 君いつ帰る

という歌の歌詞もあるくらいです。(「夜のプラットホーム」小野椰子夫・作詞/服部良一・作曲/二葉あき子・唄)

しかしながら今は、

「なに? プラットホームって」

と、若い人から言われそう。
なぜなら、今は駅では‘ホーム‬’と言って、プラットホームと言う人がいなくなったからです。

ところで、その‘ホーム’では今、ベルの音もあまり聞かれなくなりましたね。
JR、私鉄を問わず、どこの駅でもベルではなく、その駅独自の音楽を流しているように思います。

これからは、

「なに? 駅のベルって」

ということになるのかもしれません。


カボチャの収穫

2014-10-12 | 菜園の四季

先月、9月24日、わが家の庭に生ったカボチャを収穫しました。

いち早く実をつけた、梅の木に生ったカボチャは、水分の吸い上げがうまくいかなかったからか、白っぽくて固くて、明らかに失敗作でした。
(出刃包丁でも容易に切れなかった)

上の写真左が庭の真ん中に生ったカボチャで、右がベランダに生ったカボチャです。

 

 

 

 

二週間ほどそのまま置いて、熟成させてから切って、煮てみました。

意外と味が濃く、なかなか美味しいカボチャでした。


庭に生っていたころの本ブログの記事をご覧になった方が、その後どうなったかと気にしておられるかもしれないと思い、ご報告までにアップしました・

ともあれ、二階のベランダにまで這い上がったカボチャ(の蔓)の、その生命力には驚きました。
http://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/4f68787d31814fdb0ec03316a04a7054


最初の朝鮮通信使

2014-10-05 | 韓国文化垣間見

新大久保に行ってきました。

NPO法人高麗博物館主催の「最初の朝鮮通信使を知る 映画と講演の会」が、新大久保であったためです。

映画はドキュメンタリー映画「李藝(りげい韓国語読みイ・イェ)-最初の朝鮮通信使」。
講演は、この映画の原作「小説 李藝」を書いた金住則行氏のお話でした。

 

李藝(1373-1445)は朝鮮時代初期の外交官で、生涯を日朝友好のためにささげた人です。(日本の室町時代)

映画はこの李藝の人生を紹介しながら、釜山から京都まで、李藝がかつて辿った旅の道筋を、韓国人俳優ユン・テヨン氏が実際に訪れて案内するものでした。
http://www.youtube.com/watch?v=5wLXAYvuogs

船も小さく、難破の危険さえあった600年も前の時代、李藝は四十数回も来日し、足利将軍への謁見を果たすなど日朝交流の道筋をつけたほか、倭寇に拉致された667名の同国人を母国に送還させたといいます。
李藝は、まさに全身全霊をささげて日本との交流に取り組んだのです。

この映画は、李藝の人生がよく分かり、折々にみずからのコメントを入れたユン・テヨン氏の言葉がとても味わい深く、なかなか良くできていました。







案内役のユン・テヨン氏は、その李藝の生き方に、自分の人生の見直しを迫られるほどの衝撃を受けたそうです。
自分はいったい、子どもたちが生きていくこれからの時代のために、何ができるのかと考えさせられた、と映画の中で語っていました。

金住則行氏によると、これは台本にはないユン・テヨン氏自身の言葉だったそうです。李藝の生き方もさることながら、ユン・テヨン氏、若いのに(1974年生まれ)とてもしっかりした俳優さんですね。

 

 


            

            帰りは池袋に出て、居酒屋 千登利に寄ってきました。