興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

Keep being simple

2010-12-31 | 季節の移ろい

メタセコイアも葉がほとんど散って、簡素な円錐形の骨格をあらわにしました。

葉が芽生え、散り、木々の一年は人の一生にも似ています。

「老いるとは素に戻っていくこと」
と、以前、女優の樹木希林さんがテレビで言っていたのを思い出します。
余計な飾りを一つずつそぎ落としていくことが大切、というわけです。

飾らない、ため込まない、しがみつかない、潔く捨てる・・・これは、いま流行(はやり) の ‘断捨離’ にも通じる生き方かもしれません。

来年こそわたしも、まず捨て下手、整理下手を卒業しなければ・・・。



 




厳しい寒さの中、凛として咲くわが家の薔薇です。(プレイボーイという品種です)

 

 

この一年、この小さなブログにおいでくださった皆さま、まことにありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。

새해 복 많이 받으세요. (新しい年も皆さまにとって幸せな年でありますよう)


冬のさ中に

2010-12-26 | 季節の移ろい

散歩道脇の畑に霜が降りていました。
寒い日です。




そんな寒さの中、もう蝋梅が咲いていました。








紅梅も・・・。

早いですねえ。


いや、早すぎるなあ。
「春を告げる使者」 は、個人的にはもう少しゆっくり来て欲しい。

だって、まだ冬を十分味わってないから・・・。


野鳥レストラン

2010-12-22 | 季節の移ろい

わが家の庭のえさ台にパンくずを置くと、さっそくメジロがやってきました。

「今年は遅かったね。 待ってたんだよ」
といっているようです。

 





このあとスズメがやってきて、それを追い払うように大柄のヒヨドリがやってきました。
わが家の小鳥レストラン、今年も繁盛しそうです。

ところがそのあと、何がやってきたと思います?
ネコです。 近所の。
いつもくっさいウンチを残してゆくネコ。
えさ台に、とびのっていました。

えさを置く意欲が、とたんになくなりました。

えさ台、足を伸ばして、もう少し高くしようか。


平常心是道

2010-12-13 | 言葉ウォッチング

 平常心是道   びょうじょうしんこれどう

先月訪れた平林寺の受付でいただいた短冊に書いてあった言葉です。(写真)

短冊の裏にこんな解説がありました。

「南泉禅師(中国の名僧・748~834) の言葉。 平常心は一般に平穏な少しも外物に動じない落ちついた心のことと解釈されていますが、禅宗では日常ありのままの心、すなわち、惜しい・欲しい・憎い・かわいい等の煩悩そのままが平常心であり、それに徹して生活してゆくことが道であり、禅の真髄であると教えております。」


これは意外でした。
事にあたって動じない心、すなわち平常心 (「へいじょうしん」 とも読む) を養うために、禅宗では座禅などの厳しい修行を行なうのだろうとばかり思っていたのに、いとも簡単に 「煩悩そのままが平常心である」 と言い切るとは・・・。

やや拍子抜けがしましたが、この解説、一方でわたしにとってはとても得心がいくものです。
「ものに動じてもいいんだよ。 煩悩は誰にもあるものだ。 そんなことで自分を責めなくてもいい」
という、いわば慰めと励ましを逆に感ずるからです。

凡人・俗人の我田引水的解釈かもしれませんが・・・。


初冬点描

2010-12-04 | 季節の移ろい


 ハチリーヌ・パーシモン。

柿の品種名ではありません。
‘葉の散ったパーシモン(柿)’ という、わたしの造語です。(汗)

「葉取らずりんご」 というりんごがあります。
以前、これを初めて聞いたとき、ハトラーズ・リンゴと聞こえ、外国から入ってきた新しい品種のりんごかなと思ったものです。

りんごは実が木に生っているとき直接太陽の光が当たると、収穫時、皮の色が赤く仕上がります。
葉取らずりんごというのは、陽の光を遮る実の周りの葉を人工的に取り去ることをせず、色よりも味(甘み) を優先させたものだそうです。

‘ハチリーヌ・パーシモン’  は、葉の散る前と比べて、果たして味が変わるのでしょうか。

スズメにでも聞いてみますか。

 







火の見櫓。

今はあまり見かけなくなった代物ですね。
ここももう使われてないようです。 半鐘がはずされていて、ありません。

ひところ半鐘の盗難が相次ぎ、話題になりましたが、そのせいというより、火の見櫓自体その歴史的使命を終えたからでしょう。

火の見櫓は、今や近代消防史の遺産です。

 

 

 



メタセコイアも紅葉してきました。
ほかの木々よりも紅葉が遅いですね。

もう少ししてこの葉がぜんぶ散ると、幹と枝のスケルトンが出現します。 きれいな円錐形をした木全体の姿がよりはっきりわかり、それもなかなかおもしろいものです。

その時季にここに来ることができたら、是非また撮ろうと思います。


結果化粧

2010-12-01 | 余白の創作ことわざ

(写真はソウルの江南にある奉恩寺<2009年12月撮影>。 本記事とは関係ありません)

「余白の創作ことわざ」 の第12回です。

結果化粧  けっかけしょう

<意味>
化粧はその過程を他人に見せるものではなく、家ですませ、結果を見てもらうものだ。 人生には人目をはばからねばならないものがある。

<さらに一言>
人の美しさは、外面よりも内からにじみ出る慎みと恥じらいの中に表れるものではないでしょうか。
電車の中で、周りの目を気にせず化粧にいそしむ人の姿には、美しさは微塵も感じられません。

社会生活においては、何ごとであれ、自分の都合だけでなく他人の目も意識し、少なくとも社会人として恥ずかしくない程度の気は使いたいものです。
みずからを律し、抑制する中にこそ、真の美しさも品位も生まれてくるように思います。

<もう一言>
「文章には含羞が感じられなければならない」
これは児童文学作家川村たかし氏の言葉ですが、 「ものを書く」 ということも同じなのでしょう。

何でも書けばいい、すべてを晒せばいいというものではなく、素材を選び、推敲を重ね、余分なものをそぎ落とす過程を経て初めて、奥行きのある  “結果文章” が生まれるのだと思います。
これは実は、わたし自身の課題です。



*お断り
この 「余白の創作ことわざ」 は、毎月月初めに掲載してまいりましたが、12回(一年)の今回を区切りに、今後は不定期での掲載に変えさせていただきます。
これまでコメントやご声援をお寄せくださった皆さまに、この機会に篤く御礼を申し上げますとともに、今後ともよろしくお願い申し上げます。