興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

白い花

2014-03-30 | 季節の移ろい

ユキヤナギの花が咲きました。

こぼれんばかりの白がみごとです。

 

 

 

 

ひと月ほど前、銀ねず色の花穂を枝に直接付けていたネコヤナギは、今はこうなっています。
緑の葉がずいぶん伸びてきました。

春の‘ヤナギコンビ’は、今年も元気です。

 



 

 

わが家のコーヒーの木にも花が咲きました。(鉢植え)

白い花です。

 ♪ 白い花が 咲いてた
  ふるさとの 遠い夢の日

  さよならと 云ったら
  黙って うつむいてたお下髪

  悲しかった あの時の
  あの 白い花だよ

岡本敦郎の歌った「白い花の咲く頃」です。(作詞:寺尾智沙/作曲:田村しげる)

この歌を知っている人は、おそらく‘人生のベテラン’の方が多いでしょうね。
なにしろこの歌が発表されたのは、昭和25年なのだそうです。(NHKラジオ歌謡)


ところで、この歌の「白い花」とは何の花だと思いますか?

わたしの友人で雑学のかたまりである芦野津迷氏なら、きっとこう言うことでしょう。

「何の花かは分からんが、まあ、春の花だろうね」

というのは芦野氏が以前、こう言っていたのを思い出したからです。

「春には白い花と青い花が多いんだよ。弱くて、夏の暑さには耐えられないからねえ」

夏の暑さに耐えられないことが理由であるかどうかは分かりませんが、たしかに春に白い花が多いことは事実ですね。

コブシ、白モクレン、ハナミズキ、ネコヤナギ・・・。

「白い花の咲く頃」の歌詞の内容とも合います。
この歌の主人公は、進学か就職でふるさとを去ったのでしょう。

 




 

 

青い花のほうは、わが家の庭にもあります。
これはムスカリ。

 

 





これは忘れな草。

これも名前の背景には、別れの季節に咲くということがあるのでしょうか。
わたしを忘れないでね、と願っている花なのですね、きっと。


でも、別れの季節は出会いの季節でもあります。
新しい出会いに新たな一歩を、元気に踏み出しましょう。


ウォーキング好適日

2014-03-22 | 季節の移ろい

彼岸の墓参りに行ってきました。

墓所から富士山がきれいに見えました。
まだ雪がたくさんありますね。

 

 

 



これはコブシでしょうか、白モクレンでしょうか。
分かりません。(たぶん、白モクレン)

暑さ寒さも彼岸まで。これからウォーキング好適シーズンとなります。
さあ、歩いて腹を引っ込めるぞ。

 

 

 



早咲きの桜も咲いていました。


馬上の裸女

2014-03-18 | 美酒・美味探訪

GODIVA(ゴディバ)のトリュフチョコレート。

出張でドイツに行ってきた知人から、先日いただいたお土産です。

トリュフチョコレートとは、高級食材のトリュフの入ったチョコレートのことだと、ずっと思っておりましたが、知人に聞いてみるとちょっと違うようですね。

トリュフという名前がついたのは、このチョコレートがトリュフの形に似ているからだそうです。

高級食材トリュフって、こんな形してたの? ・・・、知りませんでした。

 

 

 

チョコレートメーカー、GODIVAの登録商標です。

馬にまたがった裸の女性が描かれています。

この女性は11世紀英国の伯爵夫人、ゴディバ(ゴダイヴァとも)であるといわれています。
GODIVAは、このゴディバ夫人の伝説をもとに、社名とトレードマークを作ったのですね。

ゴディバ夫人の伝説は以下の通り。

ゴディバ夫人の夫、レオフリク伯爵は、英国の小さな町コヴェントリーの領主でした。
レオフリク伯爵は、みずからの信心と社会的使命感による修道院建築などのため、領民たちに重い税を課していました。

若く美しく、心優しいゴディバ夫人は、貧しい領民たちの重税による苦しみを見かね、夫に税の引き下げを頼みますが、レオフリク伯爵は聞く耳を持ちません。

それでもあきらめず繰り返し訴えてくる妻に、いらだったレオフリク伯爵は、ある日こう告げます。

「もしおまえが裸で馬に乗り、このコヴェントリーの街中を走りまわったら、おまえの望む通りにしよう」

この頃は、領主が自分の判断で税を上げ下げできたのですね。 民主主義のかけらもないケシカラン話です。

それはともかく、ゴディバ夫人は夫の言葉通り領民たちのために裸で馬に乗り、街を走りました。

領民たちは事前にこのことを知って、ゴディバ夫人に対する感謝と敬意の念から、皆、家々に閉じこもり、戸と窓を閉め、裸の夫人を見ないようにしたそうです。

そして、結局、レオフリク伯爵は妻のこの強い意志に折れ、領民への税を引き下げたといいます。


ところで、このゴディバ夫人乗馬事件には、もう一つ、付随した話があります。

町の皆が家に閉じこもったとき、一人だけ外を盗み見をした男がいました。それは、仕立屋のトムという男でした。

ここからPeeping Tom(ピーピング・トム、のぞき見トム)という言葉が生まれたといわれています。

peepとは「のぞき見する、こっそり見る」という意味ですが、ジーニアス英和大辞典でPeeping Tomを引くと、このように出ています。

「のぞき見する人、のぞき魔。《◆英国の仕立屋Tomから;Lady Godivaが住民の減税訴願のため裸で馬に乗りCoventryを通るのを窓からのぞき見し、盲目になったという》」

なんとトムは盲目になってしまったのですね、のぞき見くらいで。
ちょっとかわいそうな気がします。


以上、GODIVAのホームページなどから拾った情報をもとにまとめてみました。

どこまでがほんとうで、どこからが作り話なのかは、わかりません。
http://www.godiva.co.jp/about/episode.html


蛇足ながら、この四月から消費税が上がります。今の日本にこそ、庶民の気持ちの分かる‘ゴディバ政治家’が現れてほしいと思います。

なにも、裸で馬に乗らなくてもいいから・・・。


梅伐らぬ馬鹿

2014-03-13 | 季節の移ろい

梅の一枝を伐って花瓶に入れ、書斎に持ってきました。

梅は香りも、とてもいい。
押しつけがましくない、控えめで上品な香りです。

控えめでも、声高に自己主張しなくても、自然に自分の存在を周りに示すことのできる美しさです。

梅は、どこかの偉い人や政治家のように、ペラペラしゃべって‘失言’したり、馬鹿をさらしたりすることなど決してないでしょうね。

わたしも見習おう、ぜんぜん偉くないけど。


 桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿

ということわざがあります。

「故事俗信 ことわざ大辞典」(北村孝一・監修/小学館)によると、

「桜は、枝を切ると木が弱ることが多いので、なるべく切らない方がよい。梅は逆で、むしろ手を入れないと無駄な枝が繁って樹形や花のつきが悪くなるので剪定した方がよい。木の種類によってそれぞれ性質がちがうことを知ったうえで手入れしなくてはならない」

とあります。

つまり梅は伐ったほうがいいのですね。伐って手元で愛でるというのも許されるというわけです。

夜はこれを食卓に持っていき、目の前で梅見酒を楽しむことにします。(またかい)
 

 きょうもまた 形を変えて 梅見酒  余白 (俳句になっとらんよ)


春のやわ肌

2014-03-04 | 季節の移ろい

立春を過ぎ、ネコヤナギの柔肌(やわはだ)が登場です。

ここ数週間寒い日が続きましたが、寒かろうが、雪が降ろうが、雨が降ろうが、槍が降ろうが、(降らないって)

「わたしは、咲くのよ」

というネコヤナギの意志が感じられます。(なぜか女性言葉)

 

 

 

 



反対側から見ても、やわらかい‘うぶげ’が輝いています。

‘生命力’の発現。 これを美しいと言わず何を美しいというのでしょう。

 

ひと月半前は、まだ殻をかむっていました。↓
http://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/36c7e826d6f70a2d926b588a909618c2


大塚夕景

2014-03-01 | 散歩、時々旅

山手線大塚駅近くの天祖神社。

買い物帰りの女性が、荷物をわきの台において、御参りをしていました。

ここは都会の中の数少ない静寂空間です。

いつもせかせか、あたふたしているのでなく、しばし手を合わせ、瞑目するのもいいものです。
たとえ短時間でも、その気になれば ‘祈り’の時間は比較的容易に取れるものですね。

わたしも心を静め、御参りをしました。

 

 

 


神主さんでしょうか。

5時を過ぎ、後片付けをしているようでした。
見ているとこの方、このあと本殿の扉を閉めました。


この日わたしはこの近くで友人に会い、蕎麦屋酒と洒落込みました。

油揚げを焼いたものと板わさ、鴨肉の燻製で熱燗・・・。
居酒屋好きのわたしですが、蕎麦屋も時にはいいものですね。

(話に夢中になって、写真を撮るのを忘れてしまいました。残念)



大塚駅前を走行中の都電荒川線。

ヘッドライトが目のようです。