オヤジのひとり言

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宇治平等院

2011年08月28日 | オヤジのひとり言
8/28

節電してTVを消して・読書しています。

最近ハマッテる本を紹介しています。

京の歴史がわかる

読み出すと・・これが結構オモシロイ・・


京都検定の参考書にもなっているとか、いないとか?


千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その壱百参拾九


平安時代の 宇治 は水運・陸運の重要拠点だった

こうした事を考えると、

平安時代の宇治はどんな様子だったのだろうか?


鳥羽、淀といった京都南部の港町に対し、

巨椋池 のほぼ対岸に位置する 宇治 は、

鳥羽や伏見がそうであったように、

河川水運を通じて難波(なにわ)・京都と結ばれた水上交通の重要拠点だった。

さらに宇治は、

京都~奈良を結ぶ大和街道の道筋にも位置することから

陸上交通の上でも重要な役割を果たしていた。、(つまり当時の国道1号線)

当時の宇治は、

いわば中継運輸都市としての性格を持っていたのです。

そのため宇治には、

貴族たちが「 別業 」( べつごう )と呼ばれる別荘を構えた、

別業とは、

本来は田圃に建てられた別宅や相当な遠距離にある別荘を指す言葉だが、

歴史的には天皇や貴族の別荘や別邸のことを指す。

平安時代の貴族たちは、

主に避暑、隠棲のために京都の周辺に多くの別業を造ったことで知られている。

鞍馬や白川、

嵯峨野や大山崎、

伏見などが著名ですが

宇治もまた多くの別業が営まれていた場所でした。


 宇治に造られた別業は、

藤原忠文の「 富家殿 」

藤原頼道の娘で御冷泉天皇の后となった四条宮寛子の別業「 泉殿 」、

藤原忠実の母全子の「 小川殿 」、

藤原忠実とその子頼長の「 小松殿 」、

後鳥羽上皇の御所の「 宇治新御所 」などが挙げられる。

そして、これらの別業のなかでも最も壮大でかつ著名なものが、

藤原道長・頼通によって造られた

「 宇治別業 」( 宇治殿 )・・宇治平等院なのです。


今回はここまで・・   

続きは次回に・・ 

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