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松尾大社
節電してTVを消して・
読書しています。
千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史
その弐四
松尾大社は当初、大山昨神のみを祀っていたが、
大宝元年(701)秦忌寸都理(はたのいみきとり)が
社殿を造り娘の知満留女(ちまるめ)を斎女として仕えさせていたが、
この時、
秦忌寸都理は市杵島姫命の合祀を行なっています。
以降、
松尾大社の祭神は2神となり、
秦氏の子孫がこの両神を祀った。
市杵島姫命を合祀して暫らくの後、
松尾大社は朝廷より「大社」の称号を与えられていますから、
秦忌寸都理による市杵島姫命合祀は、
単に一族の祖神を祀る社から朝廷を守護する社へと、
松尾大社の発展を願ったものだったのかもしれません。
さて、松尾大社には多くの宝物が所蔵されているが、
その中でも約20体余と非常に多くの神像が伝えられている。
とくに平安期の作とされる三体の神坐像は注目です。
男神坐像二体、女神坐像一体からなるこれらの坐像は、
一本から彫り出され、元は彩色が施されていた。
承和三年(846)智証大師が松尾大社で発願したときに作られたものといわれていて、
製作年代も最古に分類され、わが国の神像彫刻の代表作とされています。
ほぼ等身大の姿からは、神々の前で膝跪き、
氏の興隆を一心に願う秦氏の人々が連想されます。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
電話かFAXで、メールでお気軽に・・
E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp
URL kyoto-estate.com
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オールジャパンで頑張ろう!!
東北にエールを・・
必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
みんなでがんばろう!! 日本
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松尾大社は当初、大山昨神のみを祀っていたが、
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この時、
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以降、
松尾大社の祭神は2神となり、
秦氏の子孫がこの両神を祀った。
市杵島姫命を合祀して暫らくの後、
松尾大社は朝廷より「大社」の称号を与えられていますから、
秦忌寸都理による市杵島姫命合祀は、
単に一族の祖神を祀る社から朝廷を守護する社へと、
松尾大社の発展を願ったものだったのかもしれません。
さて、松尾大社には多くの宝物が所蔵されているが、
その中でも約20体余と非常に多くの神像が伝えられている。
とくに平安期の作とされる三体の神坐像は注目です。
男神坐像二体、女神坐像一体からなるこれらの坐像は、
一本から彫り出され、元は彩色が施されていた。
承和三年(846)智証大師が松尾大社で発願したときに作られたものといわれていて、
製作年代も最古に分類され、わが国の神像彫刻の代表作とされています。
ほぼ等身大の姿からは、神々の前で膝跪き、
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