オヤジのひとり言

好奇心一杯のオヤジ田舎暮し蕎麦打ち陶芸からヨットレース情報マデお役立ち情報や業界の裏話も有 最近ロードバイクにハマッテ枡

平安時代の 「 宇治 」は・

2011年08月27日 | オヤジのひとり言
8/27

京の歴史がわかる

千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その壱百参拾七

末法思想の恐れから建立された宇治平等院

当時の貴族が考えた「 極楽浄土 」を再現した極彩色のきらびやかな世界

 宇治市は今でこそ、高級な「 宇治茶 」と京阪奈のベッドタウンで知られ、

京都南部の中堅都市というイメージが強い。

しかし、

平等院が造られた頃、

すなわち平安時代の宇治は、

京都との関係も、

町のありようも今とは相当異なっていたようです。


そうした京と宇治の歴史的関係を考える場合、

忘れてはならないのが巨椋池 ( おぐらいけ ) の存在です。

京都南部は、鴨川・桂川、宇治川、木津川という

大河川が淀川へと合流する地点に当たるが、

そこには巨大な池 ( というかむしろ湖に近い ) が広がっており。

巨椋池と呼ばれていました。

巨椋池は、昭和8年から国の干拓事業によって埋立てられ、

現在はその大半が耕地や住宅地になり、

また国道1号線が京都から南に大阪に向かって伸びていることもあって、

巨大な池の存在はイメージしにくい。

しかし、

実際には、巨椋池の干拓以前、

京都の南部、

現在の下鳥羽から淀、伏見の南から久御山町付近にかけての景観は、

伏見以南は大きな池と言うより湖のような

その先にある宇治は、

極楽浄土の地のようなそんな存在だったようで・

今とは全く違っていたのです。


今回はここまで・・   

続きは次回に・・ 

電話かFAXで、メールでお気軽に・・

E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp

URL kyoto-estate.com

ここを・ ・・ ポチット・・・・クリックして下さい。 

  ↓   ↓   ↓

京都南部の不動産は京都エステートへご相談ください。




只今Athome Webより、より詳しい最新情報が見られます。


オールジャパンで頑張ろう!! 東日本にエールを・・

必ずや立ち上がってくれると・信じてる。

5年10年掛かるかも知れないけれど・

ずっと・ずっと・応援してる・

みんなでがんばろう!! 日本




最新の画像もっと見る

コメントを投稿