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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その弐百弐拾八
義満 が「 五山 」に押し込んだという 相国寺
鎌倉時代以降、政治の実権を握るようになった武士たちは、
禅宗に傾倒し、数多くの寺院を建立した。
京都や鎌倉といった武家政治の拠点になった都市に禅寺が多いのは、
こうした背景があったようです。
京都においては室町時代を中心に著名な禅宗寺院が幾つも建立されている。
なかでも 相国寺は、
室町幕府三代将軍 足利義満によって建てられた大きなお寺です。
正式には 相国承天禅寺といい、
現在は 臨済宗相国寺派大本山です。
今回はここまで・・
相国寺
: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相国寺は京都最大の禅宗寺院のひとつとして、また、五山文学の中心地として栄えたが、
たびたび火災に見舞われた。伽藍完成から2年後の応永元年(1394年)に全焼。
義満による七重大塔も数年で焼失したが、
七重大塔は全高(尖塔高)109.1m(360尺。比較資料:1 E2 m)を誇り、
史上最も高かった日本様式の仏塔である。
昭和4年(1929年)の依佐美送信所鉄塔(250m)竣工までのおよそ530年間、
高さ歴代日本一の記録は破られなかった。
足利義満没後の応永32年(1425年)に再度全焼している。
応仁元年(1467年)には相国寺が応仁の乱の細川方の陣地となったあおりで焼失。
天文20年(1551年)にも管領細川家と三好家の争いに巻き込まれて焼失。
ここまでで都合4回焼失している。
天正12年(1584年)、相国寺の中興の祖とされる西笑承兌(せいしょうじょうたい)が住職となり、
復興を進めた。現存する法堂(はっとう)はこの時期に建立されたものである。
その後も元和6年(1620年)に火災があり、
天明8年(1788年)の「天明の大火」で法堂以外のほとんどの堂宇を焼失した。
現存の伽藍の大部分は19世紀はじめの文化年間の再建である。
続きは次回に・・
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