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「相馬野馬追い」は今年も決行・・

2011年04月14日 | ボランティア
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今・大震災と大津波・原発事故で大変ですが・

「相馬野場追い」は今年もみんなを元気にする為に行なわれることになったという・

うれしい知らせが入ってきました。



相馬野馬追の起こりは、

相馬氏の始祖、平将門に始まると伝え

『相家故事秘要集』には、

「将門、関八州を領してより、下総国葛飾郡小金ヶ原に馬を放ち、年々春夏秋二度も三度も、八カ国の兵を集め、甲冑を帯し、大群を学び、野馬を敵となして、軍法備え(そなえ)の次第、駆引(かけひき)の自由、馬上の達者、機変自在の動きを試む」と見える。

 『奥相秘鑑』によれば、

天慶3年(940)将門没後、長男は早世し三男以下は戦死し次男将国一人が死を免れて民家にかくれ、その子文国は旧臣浮島太夫木幡右近国豊に隠まわれ、常陸国信田郡浮島に住み、信田小太郎と称した。文国の子頼望にいたり推されて信田の郡主となり漸く地方に重きをなすようになったとある。

 将門没後、数代の間は野馬追も出来なかったと思われるが、

相馬氏の一族の岡田氏が葛飾に住んで、わずかに野馬追を続けていたと伝える。

 頼望より六代目の重国(しげくに)の代になって

千葉介常兼(つねかね)(千葉城に居住)より所領を分け与えられ、

下総国相馬郡守谷に移り、信田の名を改め、相馬を名のり相馬家を再興した。

 重国から胤国(たねくに)、師国(もろくに)と続いたが、

師国に子がなかったので、養子として迎えたのが、

本家筋の千葉常胤の次子、師常(もろつね)が

ここに師常は将門の正統を継いだのです。

そして、

師常の頃から、晴れて先例のように小金ヶ原で毎年五月中(なか)の申(さる)の日に野馬追を行うようになったとするのが一般の伝承です。

 小金ヶ原で行われたという将門のころの野馬追の様子は解からないが、

平素多くの野馬を放牧し、

この馬群を多くの将兵が騎馬で追い出し、

一定の場所に追い込み、(アメリカのカウボーイみたいな)

野馬を生捕る(いけどる)ことによって敵兵を捕虜にした形をとった、

いわゆる野馬追の行事を行ったとされる。

 今に残る小金ヶ原は、ほんの名ばかりで、

守谷(茨城県守谷市)の西南方約20キロメートルの辺り(あたり)にあるという。

 将門の正統を継いだ師常(もろつね)は、

鎌倉四天王の一人として武名をはせ、

奥州行方を拝領したので、彼を奥州相馬の祖としているのです、

一千年有余の歴史を誇る相馬野馬追は、その背景をなす相馬の武士道。 

相馬藩は、藩政時代には、藩の役所のあった

中村(現在の福島県相馬市)の名をとって中村藩と呼ばれていた。

 中村藩主の相馬氏の起こりは非常に古く、

『相馬系図』によれば相馬小次郎平将門を祖とし、

下総(南関東)を本拠としていた。

将門から12代目に当る相馬師常は、

同族の千葉氏より出て相馬氏を継ぎ、奥州相馬の初代となった。

 相馬は、藩政時代には、禄高6万石の小さな藩で、

隣に10倍に余る大藩の伊達氏があり、

けっして安閑としてはいられなかった。

いつ何時攻められるかわからないので、

常に武器を傍らに置いて働き、敵が攻めて来ると聞けば、

一同妙見社に集り、御神水を飲んで結束を固くすると同時に、

小藩なのでとても武力でかなう訳がない、

日頃、学問から礼儀作法にいたるまで、

きめ細かな精神的躾を怠らず、

緊張感を持続し、武士道精神を盛んにする事に全力を注いだのです。

 一方、武具の充実と武術の鍛錬を怠ることが出来ない相馬にとって、

野馬追行事は、幕府の厳しい監視の目を逃れる格好のかくれみのとして、

武術の訓練を図る場となった。

 相馬の武士道の源は、

すでに戦国時代の顕胤(あきたね)などに現れている。

伝記に、天資英邁、至行端正、特に信義に厚く、

妻の父に当る伊達稙宗(たねむね)のために、

稙宗の子晴宗と度々戦を交えたのも信義のためでした。

ある時阿武隈川を挟んで対戦し、

多くの戦死者を出した時、

敵味方塚をつくって一緒に葬ったことは、

敵方にも感動を与え、語り草になっている。

 幕末になって相馬は、

天明、天保の大飢饉により大打撃を受けたが、

相馬を救ってくれたのは、

二宮尊徳の「與国安民法」(相馬では御仕法と呼んでいる)でした。

その基礎は、至誠・推譲・分度・勤労という四つの徳目におき、

徳を持って徳に報いるという報徳精神です。
 このように、

古くは武士道精神、新しくは報徳精神という

二大指導精神が相馬を支えてきたもので

「相馬は東国の君子国」と言われる所以です。


そんな相馬の人々ですから・・

必ずや立ち上がってくれると・信じています。

5年いや10年掛かるかも知れないけど・・

ずっとずっと・応援してる

みんなでガンバロー!!・東北


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