古代中国でも古くは新月(今でいう三日月)を
月初とする暦を使っていたようですが、
やがて天文学の進歩に伴って
朔日を月初とする新たな暦が作られました。
そして、
かって新月のことは、
月が出ると書いて「月出」ひ呼びました。
また大陰暦では一年の長さが354日となり、
暦と季節が毎年約11日ずつずれていきます。
そこで、季節の基準点として、
夏至、冬至などを含む24節気を定め、
これをもとに19年間に7回のうるう年
(1年を13ヶ月とする)を設け、
暦と季節を合わせる手法が編み出されました。
1年の始まりは、最初は太陽の復活する冬至とされたのですが、
のちに立春に改められた。
この暦は、月の満ち欠けをもとにしながらも、
太陽暦の一種であるともいえます。
このようなタイプの暦を「太陰太陽暦」と呼ばれています。
日本で明治5年まで使われていた「旧暦」は、
この中国の暦を模倣して作られたもので、
朔を「ついたち」、
月出 を「みかつき」と訓読みしています。
今でも私達は毎月1日を「ついたち」
と読んでいますが、これは「月立ち」が訛ったもので、
本来は朔日を意味する言葉だったというわけです。
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