昨日の伊豆新聞に「伊豆の自然を考える」第2回が掲載されました。
内容は風車建設予定地の三筋山周辺で行われている「山焼き」についてです。
地元住民が遠い昔から山焼きを続け萱場(かやば)を守り続けてきたわけですが、若草山や秋吉台などの山焼きは観光化することによって姿を大きく変えながら続いているに過ぎず、観光化していない民俗的な色合いを濃く残した当町の山焼きは民族文化財として高い価値を持っているそうです。
山焼きが日本の伝統文化を伝える民族文化として価値があることは理解できます。新聞の記事では詳しく触れられていませんが、山焼きには生態系を維持する効果もあると聞いています。
山焼きが観光化すると何がいけないのかは私にはわかりませんが、山焼き自体が日本全国で減っていて重要なものだということについてはまったく異論ありません。
しかし、記事の最後に「風力発電の巨大なプロペラは山焼きと共存し得るのでしょうか」と記されており、続いて「この地で生き残ってきた日本を代表する草の文化を滅びさせてはならないと思います。」と結んでいるのには驚きました。
なぜなら、この山焼きのことについては、環境影響評価に対する意見書の中でも質問を受けており、それに対し、風車建設後も山焼きは継続できると事業者からはっきりと回答してあったからです。
それをあたかも、風車が建つと山焼きができなくなってしまうかのような印象を与えるような記事を書くとはどういうことでしょうか?
やはり、ちょっとフェアじゃないですね。
内容は風車建設予定地の三筋山周辺で行われている「山焼き」についてです。
地元住民が遠い昔から山焼きを続け萱場(かやば)を守り続けてきたわけですが、若草山や秋吉台などの山焼きは観光化することによって姿を大きく変えながら続いているに過ぎず、観光化していない民俗的な色合いを濃く残した当町の山焼きは民族文化財として高い価値を持っているそうです。
山焼きが日本の伝統文化を伝える民族文化として価値があることは理解できます。新聞の記事では詳しく触れられていませんが、山焼きには生態系を維持する効果もあると聞いています。
山焼きが観光化すると何がいけないのかは私にはわかりませんが、山焼き自体が日本全国で減っていて重要なものだということについてはまったく異論ありません。
しかし、記事の最後に「風力発電の巨大なプロペラは山焼きと共存し得るのでしょうか」と記されており、続いて「この地で生き残ってきた日本を代表する草の文化を滅びさせてはならないと思います。」と結んでいるのには驚きました。
なぜなら、この山焼きのことについては、環境影響評価に対する意見書の中でも質問を受けており、それに対し、風車建設後も山焼きは継続できると事業者からはっきりと回答してあったからです。
それをあたかも、風車が建つと山焼きができなくなってしまうかのような印象を与えるような記事を書くとはどういうことでしょうか?
やはり、ちょっとフェアじゃないですね。
正当な理由で反対するのならともかく、全く筋違いなことを新聞にまで載せるというのはどうしてなんでしょうか?
誰が、どうして反対しているのか。気になります。
反対すればするほど、メリットが出る。そういう構図はどこかに眠っていないでしょうか?
今回新聞に記事を掲載しているのは、基本的に伊豆の自然を愛しているということが前提にある方たちだと思います。単純に自分たちの活動フィールドにある自然を守りたいということで、反対することによって何かメリット(利権)があると言う訳ではないでしょう。
ただ、環境影響調査に対する意見書を提出され、当町も事業者も誠意をもって回答したので、それについて納得いかない点があれば、再質問を頂くなどして疑問点を解消していくようなやり方があったにもかかわらず、突然新聞に意見を掲載したことはとても残念です。
普段、自分たちがハイキングなどの活動でで親しんでいる場所に風車が建つ=自然破壊ということだと考えているようですが、長期的な視点にたって何が本当に自然保護につながるのかということに気づいていただければと思います。