さいたま市緑区大間木の住宅街にひっそりとある「旧高野家離座敷」。
江戸時代末期の蘭方医、高野隆仙が母屋の離れとして建てたものです。
もともとは赤山街道沿いの旧高野家の敷地内にあったもので、2005(平成17)年に解体修理復元工事が行われました。
茅葺寄棟で4畳半と3畳の2間の小さな建物。
高野隆仙はシーボルトの弟子である高野長英に師事し、大間木村に戻ってからは父の後を継ぎ、蘭方医として診療していました。
蛮社の獄で捕えられていた蘭学者の高野長英を、逃亡途中にこの離れ座敷にかくまったそうです。
その後隆仙は長英をかくまったことで捕えられ、そのときの拷問の傷が原因で1859(安生)年に49歳で亡くなりました。
江戸時代末期の蘭方医、高野隆仙が母屋の離れとして建てたものです。
もともとは赤山街道沿いの旧高野家の敷地内にあったもので、2005(平成17)年に解体修理復元工事が行われました。
茅葺寄棟で4畳半と3畳の2間の小さな建物。
高野隆仙はシーボルトの弟子である高野長英に師事し、大間木村に戻ってからは父の後を継ぎ、蘭方医として診療していました。
蛮社の獄で捕えられていた蘭学者の高野長英を、逃亡途中にこの離れ座敷にかくまったそうです。
その後隆仙は長英をかくまったことで捕えられ、そのときの拷問の傷が原因で1859(安生)年に49歳で亡くなりました。
残してくれてありがたいですね。
この、お医者様の思いや信念が感慨深いです。
きれいにそしてひっそりと保存されていました。
高野隆仙という名はここで初めて知りました。
もっと知られてもいいのになぁ。