1128(大治3)年に建立された川崎大師の境内にある遍路大師尊像。
東海道の近くということもあり、信仰と行楽をかねる川崎大師への参詣は江戸時代初期からたいへん盛んだったそうです。
同じく境内にある「弘法大師道標」は、江戸からの参詣客のために1663(寛文3)年に建てられました。
「従是弘法大師江之道」(これより弘法大師への道)と刻まれています。
もともとは川崎宿の茶屋万年屋の脇、東海道から大師道への分岐点に建てられていましたが、戦後川崎大師(平間寺)境内に移されました。
多摩川にかかる六郷橋のたもとは、かつて万年横丁と呼ばれていました。
大師に参拝する人で賑わったそうです。
国道15号(第1京浜)を越えたこのあたりに「万年屋」、その脇に「弘法大師道標」がありました。
多摩川の流路がたびたび変わったため、「万年屋」の跡地については特定できないとのこと。
東海道の川崎宿の家並みが並んでいた場所。
旅籠62軒をはじめ下駄屋、鍛冶屋、髪結床など368軒が並んでいて万年横丁と呼ばれていました。
東海道の近くということもあり、信仰と行楽をかねる川崎大師への参詣は江戸時代初期からたいへん盛んだったそうです。
同じく境内にある「弘法大師道標」は、江戸からの参詣客のために1663(寛文3)年に建てられました。
「従是弘法大師江之道」(これより弘法大師への道)と刻まれています。
もともとは川崎宿の茶屋万年屋の脇、東海道から大師道への分岐点に建てられていましたが、戦後川崎大師(平間寺)境内に移されました。
多摩川にかかる六郷橋のたもとは、かつて万年横丁と呼ばれていました。
大師に参拝する人で賑わったそうです。
国道15号(第1京浜)を越えたこのあたりに「万年屋」、その脇に「弘法大師道標」がありました。
多摩川の流路がたびたび変わったため、「万年屋」の跡地については特定できないとのこと。
東海道の川崎宿の家並みが並んでいた場所。
旅籠62軒をはじめ下駄屋、鍛冶屋、髪結床など368軒が並んでいて万年横丁と呼ばれていました。
東海道に関する解説板が設置されているのでわかりやすくなっています。
街道は今はスーパーの買い物客で賑わっています。