栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

「新・文盲」が増えると独裁化が進む。(3)~識字率の低下は独裁化を招く

2020-11-13 10:00:18 | 視点

識字率の低下は独裁化を招く

 背景にあるのは戦後のローマ字教育と近年のスマートフォン普及。

明治の文豪達は外国人が発音する言葉に近い漢字を探して表記したから

コーヒーを「珈琲(かひ)」と記したし、プロレスでも「本日のメーンイベント」とアナウンスした。

 それが戦後のローマ字教育でアルファベットが読めるようになると

「Coffee」を耳からではなく目でローマ字読みし「コーヒー」と発音し出した。

「main」も耳から入って来る音の「メーン」ではなく、目で読み「メイン」と

ローマ字読みするようになった。「maid in japan」も「メード・イン・ジャパン」と

表記されていたのが、最近はメディアでも「メイド・イン・ジャパン」と

ほとんどローマ字表記に変わってきている。

 要は目と耳が分離しだしたわけで、戦後のローマ字教育のせいで日本人の外国語は

どんどんローマ字化してきている。

一方で「グローバル化」「国際化」を唱え、入試にヒアリングを取り入れるなど

喋れる英語教育に力を入れている。だが、その実「グローバル」とは無縁な

「ジャパニーズイングリッシュ」が蔓延っているのは皮肉だ。

 国際化を唱え「ガラパゴス化」を批判しながら、言葉が「ガラパゴス化」している現実に対し

何も言わず、ただ追随しているメディアにも疑問を感じるが。

 ともあれ、以上のように現代日本人の識字率は明らかに低下しつつある。

スマートフォンの普及で、読めない文字は「読み飛ばす」傾向にもある。

 紙媒体中心の頃なら、読めない漢字は辞書を引き、読みと意味を調べ、

ついでに熟語や関連する言葉も覚えたりしていたが、今ではそんなことをする人は極稀だろう。

PCならいざ知らず、スマートフォンはそうした操作をするのに不向きである。

 かくして皆が「なんとなく分かった」気で読み飛ばしていく。

その結果ますます文字が読めなくなっていく。

 誤解を恐れずに言えば、文字が読めない程度ならまだいいが、

社会全体で識字率が低下すれば重大な社会変化が起きる。

 「識字率の上昇は民主主義を浸透させる」と言ったのはフランスの人類学者

エマニュエル・トッドだが、この言葉は裏を返せば「識字率が下がれば

民主主義は後退する」ということである。

 今、世界は独裁化に向かって急速に進んでいる。

北朝鮮や中国、ロシアや開発途上国のいくつかの国だけのことではない。

アメリカやベトナム、さらには自由を重んじるフランスでも指導者の独裁的手法が進んでいる。

 世界で独裁化を加速させた要因の主要な一つはCOVID-19だが、

日本ではそれよりずっと前、安倍政権下で進められていた。

 それは水を少しずつ温めるように進められていたので、人々はあまり意識することなく

「ゆでガエル」状態で、むしろ心地よささえ感じていたかもしれない。

 こうした状態を「ソフト独裁」と指摘して、かつてのナチスやスターリン、

日本軍部などで代表的に見られた強権的な「ハード独裁」と区別して述べたが、

「新・文盲」の増加がソフト独裁を呼び込み、支える基礎になっている。

 


「新・文盲」が増えると独裁化が進む。(2)~漢字を読めない層が増加している

2020-11-13 07:30:00 | 視点

漢字を読めない層が増加している

 では「読み」の方はどうか。ここで敢えて元総理を引き出すまでもないだろうから別の例を。

 COVID-19(新型コロナウイルス感染症)のことが連日報道され「コロナ禍」という言葉は

誰もが聞き知っているはず。にもかかわらず、この字が読めない人が案外存在している

と知ったのは、つい最近のことだ。

 某芸能人というかタレントが「コロナうず」と映画だか何だかの発表会の席上で言ったのだ。

それに対し「私も”うず”と言っていた」という書き込みがネット上で見られた。

言うまでもないだろうがコロナ「か」である。

 たしかに「禍」と「渦」は一見似ているし、彼は「コロナか」という言葉は聞いて知っていたはずだ。

耳では知っていたが文字では「コロナか」ではなく「コロナうず」と読んでいたわけで、

耳と目が連動していないというか「禍」という文字が読めなかったのだ。

そして、こうした例は増えている。

 似たような例をもう一つ。

岡山県に「美作」という地域がある。ちょっと歴史をかじった人なら知っていると思うが、

古くには「美作の国」と呼ばれた、現在の津山市を中心とした県北東部の地域である。

 現在は美作市という市まで存在しているにもかかわらず、地元の人で「美作」を

「みまさく」と読む人が結構な数いる。正しくは「みまさか」である。

それをいつの頃からか「みまさく」と読み、自分達が住んでいる市の名前を

「みまさくし」と発音しているのだから驚く。

 こう発音している人は学歴とは関係なく、その地で生まれ育っている人でも

「みまさか」と読めずに、平気で「みまさく」と発音する人が増えている。

地元商工会議所の副会頭までが「みまさく」と言ったのに、さすがにそれはマズイ

だろうと思い「みまさか」でしょと指摘すると「古くは”みまさく”と言っていた

時期がある」と言ったのには驚いた。

 ここまでくれば無知(恥)としか言いようがないが、この種の「文盲」が近年増えつつある。

 地元の人が「美作」を「みまさく」と言い出したのは、実は比較的最近になってから、

恐らく平成の大合併で「美作市」が誕生して以後だと思われる。

それ以前に人々が「みまさく」と言うのを聞いたことがない。

 では、なぜ突然、地元の人達が誤った読みで話し始めたのか。

耳ではなく目で読み始めたからだ。

どういうことかといえば、美作市誕生以来、市報をはじめ各種通知に「美作」という

文字の表記が増え、人々がこの文字を目にする機会が格段に増えたことで、

「作」の字を字面通りに「さく」と読み始めたのだ。

 今までは耳から入った語で聞いていたのが、目から入って来る字を読むようになったから、

こうしたことが起きているわけで、文字が読めない文盲ではなく、

文字そのものは読めるが正しく読めない「新・文盲」が全世代で増えている。