栗野的視点(No.685) 2020年5月13日
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「巣籠もり」作戦は本当に正しいのか、事態を打開できるのか。
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強大な相手に対して、まず籠城することは一定の効果がある。
しかし、籠城戦で勝った戦いはない。その多くは兵糧が尽きたり病人続出で自滅している。
籠城戦が効果あるのは短期間だ。長引けば長引くほど戦死者数より餓死者数の方が多くなる。
今、その時期に差し掛かろうとしているように思える。
本当に「巣籠もり」作戦は正しいのか。ボタンの掛け違いはなかったのか。
データを収集・分析する方向性は正しいのか。そういうことを再度出発点に戻り冷静に見直す必要があるのではないか。
未知との遭遇で人が取る5つの行動
人は未知のモノや予期せぬ出来事に遭遇した時、様々な行動を取るが、
概ね段階ごとに次のような行動パターンに分かれる。
1.身構えと様子見
2.右往左往
3.怯えと軽視
4.敵対と協調
5.反転攻勢
(中 略)
怯えは増幅し、同調圧力は強まる
時間(日数)の経過とともに人々は冷静さを取り戻し始め、対象や事態を冷静に見つめようとする動きが増してくる。
もちろん、この段階でも根拠の薄い怯えと楽観視は残る。
いや、むしろ両方の動きはさらに力を増していく。怯えはどんどん強くなり、さらなる防御姿勢を強めていく。
方向性を与えられたベクトルは決してジグザグに進んだり、ましてや後戻りすることはない。
ひたすら進む。それも速度を増しながら。これは拡大であれ、膨張、収縮であれ同じだ。
今、怯えのベクトルに力を与えているのがTVを中心としたメディアである。
特に酷いと感じるのがTVの情報番組。
一度ある方向(今回の場合は「自粛」)に向かい出したベクトルは決して途中で速度を緩めたり、
立ち止まることをしない。もっと、もっと、というように、さらに先へ進んで行く。
TVは特に極端な映像を求めたがるだけに、視聴者側の冷静な判断が求められるが、
そうした情報に引っ張られる形で「積極的に」動き出す者もいる。
「みんなが自粛しているのに、お前はなんだ。営業自粛しろ」というわけらしいが、
背景にあるのは不安と怯え。その裏返しで「自分は要請に従い、我慢しているのに、
それに従わない奴は許せない」という他者への怒りの行動となっている。
これは戦時中の隣組組織などで見られた行動と同じだが、権力に従順な人、
強い者に従う傾向が強い人にほどよく見られ、自身の内に権力志向、権威主義的傾向を秘めている。
(中 略)
見るべきは感染者数より死者数
「専門家会議」の副座長、尾身茂氏は「報告されているより数が多いのは間違いない。
それが10倍か20倍か30倍かは誰も分からない」と答えている。
「専門家」が、報告されている感染者数を信用していないばかりか、
どれほどの人が感染しているか「誰も分からない」と言うのだ。
ここで本メルマガNo.683で書いたことを思い出して欲しい。
私はそこで感染者数に触れ「検査総数中の感染者数と、実際に感染した人の数の2つがある」と指摘していたことを。
データのどこを見ればいいのか、どのデータを比較すればいいのか。それは死者数である。
(中 略)
都市封鎖、巣籠もりは有効か
同研究チームによると「人々が集まるレストランやバー、レジャー施設、イベント会場の閉鎖も
感染拡大の抑制に寄与した」が、「これら以外の業種における営業停止は、感染拡大の抑制に
ほとんど影響がなかったとみられる」。
また「外出禁止は、COVID-19の発生率の減少との相関がなく、むしろ外出禁止の日数が
増えるほど、感染者数は増加した」とのこと。
興味深いのは「巣籠もり」する日数が増えるほど、逆に感染者数は増加したという点である。
(中 略)
高齢者、基礎疾患持ちこそ巣籠もりを
現段階で可能な最も現実的な方法は何かを考えてみよう。
そのためには感染者数より死者数の方が重要になる。
というのは感染しても軽症で終わる人(中には無症状でいつの間にか治っていた人もいる)と、
感染すると重症化する人がいるが、重要なのは後者を減らすことである。
(中 略)
蛇足でもう一言。第2波、第3波の世界的流行はない(小さな流行程度はあるかもしれないが)だろう。
(以下 略)
全文はHPに収録、「まぐまぐ」からも配信しているので、そちらでどうぞ
栗野的視点(No.685):「巣籠もり」作戦は本当に正しいのか、事態を打開できるのか。