“耳じん様”と呼ばれる碑がある。
元々は“行人塚”だったが、
土地開発によってその場所に移転建立したという。
行人塚は、亡くなった行者が眠っている塚である。
あるときこの村にやってきた行者は徳のある人で、
多くの村人を助けた。
中でも、耳の病気を治すことができたという。
それは山で修行を積んだ霊験によるものか、
あるいは諸国を巡り歩き、
耳の病気を治す知識を持っていたのかもしれない。
行者はそのまま村で暮らし続けた。
そして、その地で最後の時を迎える。
村人の誰もが嘆き悲しんだ。
いつしか行者は、村になくてはならない存在になっていた。
亡くなった行者は土に埋め、塚を築いた。
やがて月日が過ぎても、
村人の記憶から薄れることはなかった。
行者が好きだったという酒を供える者もいる。
耳や喉の病気が治れば、
行人さまのお陰だと自然と手を合わせた。
行人塚へお参りに来る人は絶えなかったという。
そしていつしか、「耳じん様」や「耳だれ様」と呼ばれるようになった。
そうした村人の親しみと感謝の気持ちは代々続く。
そして、土地開発のために塚が消えることになっても、
お参りに行く村人の姿は絶えなかった。
耳じん様に対する想いがそれだけ深いということだろう。
そこで、行人塚を移転建立し、現在に到っている。
いまも、この耳じん様にお参りに来ている人はいるだろう。
その想いはこの先ずっと続くのかもしれない。
時代を越えても、
人に感謝する気持ちは変わらないということを教えている。
元々は“行人塚”だったが、
土地開発によってその場所に移転建立したという。
行人塚は、亡くなった行者が眠っている塚である。
あるときこの村にやってきた行者は徳のある人で、
多くの村人を助けた。
中でも、耳の病気を治すことができたという。
それは山で修行を積んだ霊験によるものか、
あるいは諸国を巡り歩き、
耳の病気を治す知識を持っていたのかもしれない。
行者はそのまま村で暮らし続けた。
そして、その地で最後の時を迎える。
村人の誰もが嘆き悲しんだ。
いつしか行者は、村になくてはならない存在になっていた。
亡くなった行者は土に埋め、塚を築いた。
やがて月日が過ぎても、
村人の記憶から薄れることはなかった。
行者が好きだったという酒を供える者もいる。
耳や喉の病気が治れば、
行人さまのお陰だと自然と手を合わせた。
行人塚へお参りに来る人は絶えなかったという。
そしていつしか、「耳じん様」や「耳だれ様」と呼ばれるようになった。
そうした村人の親しみと感謝の気持ちは代々続く。
そして、土地開発のために塚が消えることになっても、
お参りに行く村人の姿は絶えなかった。
耳じん様に対する想いがそれだけ深いということだろう。
そこで、行人塚を移転建立し、現在に到っている。
いまも、この耳じん様にお参りに来ている人はいるだろう。
その想いはこの先ずっと続くのかもしれない。
時代を越えても、
人に感謝する気持ちは変わらないということを教えている。