クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

編集者と行く羽生城めぐりは?(15) ―みんなと一緒に城巡り―

2010年12月10日 | 羽生城跡・城下町巡り
編集者ではなく、
公募で集まった人と一緒に“羽生城”を巡る。

出発する前に、1時間くらい「お勉強」をした。
なぜなら、羽生城とひと言で言っても、
その歴史や関係人物がよく知られていないからだ。

「羽生にもこんな歴史があったのか」
「いままで何もない町だと思っていたけど、
こんなに深い町なんだよって友だちに話したくなった」

そんな声を聞くととても嬉しい。
ぼくはふるさと自慢をしたいわけではない。
どんな町にもいろいろな歴史があって、
視点を変えるだけで、
気付かないものがたくさんあるということを伝えたいだけだ。

それを面白いと感じるかどうかはその人次第。
「つまらない」と思ってもいい。
ただ、そういう歴史があるということを知識として知ることが大切だ。

知らなければ何も生まれない。
しかし、知れば“きっかけ”が生まれる。
郷土の誇りもそこから生まれるものだ。
自慢はしない。
ただ、ふるさとの誇りは持つべきである。

「何もない」「つまらない」と、自虐的であってはならない。
「あれもいいよね」「こんなところが好きだよね」と言い合える町になれば、
地域は明るくなる。
そんな地域が増えれば、
日本全体が明るくなるのではないだろうか。

後ろを向いていては進まない。
前を向いて物事は生まれていく。
歴史は過去を振り返っているに見えても、
学ぶその行為そのものが、前向きに生きることである。
過去を知り、己を知る。
そして、未来を切り拓いていく。

一日に積み重ねられるものなど、微々たるものにすぎないかもしれない。
しかし、信じて積み重ねていけば、
やがて揺るがぬ山となる。
ぼくの話していることなど、つまらないものかもしれないが、
誰の心にも残る何かになることを信じて、
いつもメッセージを発している。

ところで、羽生城跡を巡ると言っても、
実態が不明確な城なので歩きづらい。
本で紹介される羽生城は、「羽生城跡碑」の建つ古城天満宮が写真に掲載されるが、
ここが本丸というわけではない。
城の遺構はないし、復元されたものもない。

いい加減なことも言えないから、
現状を説明した上で参考文献として『羽生城と木戸氏』を挙げ、
「~と伝えられること」「~と考えられること」として町の中を巡る。

ちなみに、「羽生城」以外の視点で町を見ても、
別の雰囲気を漂わす。
最初にできた“学校”や、
自由民権運動が盛んだった時代に、
北武蔵に政治の嵐を巻き起こした“通見社”や、
羽生の町を描写した『田舎教師』。

その『田舎教師』を訪ねた川端康成ら文豪3人の旅や、
幕末から明治にかけて、
国際的な視点で日本に文化を輸入した“清水卯三郎”など、
知られざる歴史や縁が眠っている。

数時間の羽生城巡りだった。
コースとしては短い。
しかし、立ち止まって見るところが多かったせいか、
時間が足りないくらいだった。

古城天満宮の前で解散となる。
この城跡巡りに参加した人の胸に、
どんなものが残っただろうか。

家に帰って、誰かに話してほしい。
もし子どもか孫に話し、
それが次世代に伝わっていつかぼくの耳に入ることがあれば、
こんなに嬉しいことはない。



羽生学校跡(埼玉県羽生市)



通見社跡



清水卯三郎の胸像



清水卯三郎の生家跡



川端康成らが宿泊した羽生館



田舎教師終焉の地



恋する地蔵



曼陀羅堀



羽生陣屋の堀跡



羽生城跡碑の建つ古城天満宮
コメント (4)
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