クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

北武蔵の“パワースポット”はどこにある?(18) ―タンポポ―

2010年12月08日 | パワースポット部屋
高校1年のとき、よく通ったお好み焼き屋がある。
その名は「タンポポ」。
隠れ家的な店で目立たなかったが、
そんなところが好きだった。

男同士で集まったり、
女の子と映画を観に行った帰りに寄ったりと、
行き場所のないぼくらに「場」を提供してくれたと思う。
レジの横にはクラシックギターがあって、
マスターが気まぐれに弾いていた。

十代の季節は移ろいやすい。
いつも一緒にいた人とつまらないことで別れたり、
ひょんなきっかけで仲良くなる人がいたりと、
曖昧かつ不安定だった。

だけどもし、「タンポポ」が営業していたら、
変わらず通っていたと思う。
例え一緒に行く人が変わっても、
ぼくはきっとその場所が好きなままだった。

店の外に目を向けると、神社仏閣が所在する。
音無神社、富徳寺、豊武神社、観音堂、福生院……

古いものが好きだったぼくは、
ときどき神社へ出掛けた。
豊武神社へ行ったとき、
一緒にいた泣き黒子のある人は戸惑い気味だったが、
ぼくのテンションは高かったと思う。

富徳寺は、羽生城代“不得道可”の開基と伝えられる。
『新編武蔵風土記稿』によると、不得道可は“木戸忠朝”の家臣で、
江戸時代に入ってからは“大久保忠隣”に仕えた。
そして、羽生城代として、羽生領の政治を行った。

何気なく建っている社寺も、
実はあまり知られていない歴史が眠っている。
境内に行くと、そんな気配を感じた。
十代のとき、隠れた歴史を教えてくれる人がそばにいたら、
どんなふうになっていただろうと、ときどき思う。

「タンポポ」でお好み焼きを焼き、
マスターがギターを爪弾く。
そんな季節が流れていた。

しかし、店は気まぐれに閉店してしまう。
マスターが弾くギターのように。
ぼくらが高校2年になった春のことだった。
親しかった同級生が転校してしまうように、
ひどく寂しかったのを覚えている。

それから十年以上が経つが、
店舗は取り壊されずに残っている。
看板は外され、ドアはかたく閉まったままだ。
中に明かりが灯ることはない。

しかし、過ぎた季節の置き手紙のように、
建物だけが残っている。
かつてぼくらが使っていた居場所。
それは、幼い頃に作った「秘密基地」に似ている。
いつもの顔ぶれ、いつもの場所、いつもの味……

失われた場所は元には戻らないが、
あの頃のわけのわからない勢いや、
言いようのない苛立ちや寂しさが、
まだそこには仄かに残っている気がする。
そして、それが心を強くもし、
弱くもさせる……



「タンポポ」跡近くに建つ板碑
コメント
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