銀杏が黄色く色付く頃になると、
西南の方角に富士山が見え始めて、
今年も冬がやってきたことを感じる。
冬の到来とともに、毎年恒例のように読みたくなるものがある。
それは太宰治の「富岳百景」。
小説家の中期の代表作である。
「富士には、月見草がよく似合う」のフレーズで有名だ。
太宰治というと、気弱でウジウジして、
いつも「苦悩」しているイメージを持つ人もいるだろうが、
中期の作品は比較的明るい。
「富岳百景」に描かれるエピソードの一つ一つがくすぐったい。
ところで、ぼくは作家の手書き原稿を見るのが好きだ。
数年前に太宰の『人間失格』の肉筆原稿がそのまま出版されて、
いささか興奮した。
太宰は、半ペラ(二百詰原稿用紙)に万年筆を使って書いていた。
太宰治の妻美知子の証言によると、
半ペラを使うようになったのは、昭和13年からだという。
「富岳百景」が発表されたのは昭和14年。
つまり、同作は半ペラで書かれたことになるだろうか。
太宰は妻の万年筆を使って書いていた。
もとより文房具に凝らない性質だったらしく、
万年筆へのこだわりも特別なかったのだろう。
妻は次のように回想する。
太宰が使っているうちに軸の工合がわるくなったが、
いちいちインクをつけて書いていた。ペン先を取り替える手間だけは省けたわけである。
「エヴァーシャープ」という商標であるが、
十年、これ一本で書き続けることが出来たのは
太宰が軽く字を書くからであったろう。
(津島美知子著『回想の太宰治』より)
ちなみに、太宰が使っていたインクの色は黒である。
ぼくはこのインクの色と、
新潮文庫版の背表紙の黒がリンクしているように感じる。
太宰を毛嫌いしていた三島由紀夫は、
ブルーのインクを使って原稿を書いている。
三島の原稿は美しい。
人に見られることを意識して書かれた字だと思う。
ブルーのインクを使って書かれた文字を見ると、
ぼくは決まって三島を思い出す。
もし、太宰がブルーのインクを使って小説を書いたら、
何か影響はあっただろうか。
たかがインクだが、
色が人の心理にもたらす影響を考えると、
作家の人生に全くの無関係ではないように思う。
女性と玉川上水に心中した太宰と、
市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をした三島。
三島もまた黒のインクを使っていたら、
作風や生き方が多少違っていただろうか。
ちなみに、ぼくはパーカーの万年筆を愛用している。
使っているインクはブルーブラック。
原稿送信はパソコンで入力したデータだが、
やはり手書きは好きだ。
池波正太郎が万年筆を「刀」に喩えたように、
1本でもこだわりの筆記用具を持つと、
その人を象徴する武器になると思う。
太宰は、女性をきっかけにして、
安定した生活から破綻へと突き進んでいった。
富士はそのときも、ドデンと逞しくそびえ立っていたのだろう。
ただ、太宰の心に富士はもう響かない。
「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい」と書いているように、
彼の瞳に映る富士は、次第に曇っていった。
太宰治の墓碑にて(東京都三鷹)
西南の方角に富士山が見え始めて、
今年も冬がやってきたことを感じる。
冬の到来とともに、毎年恒例のように読みたくなるものがある。
それは太宰治の「富岳百景」。
小説家の中期の代表作である。
「富士には、月見草がよく似合う」のフレーズで有名だ。
太宰治というと、気弱でウジウジして、
いつも「苦悩」しているイメージを持つ人もいるだろうが、
中期の作品は比較的明るい。
「富岳百景」に描かれるエピソードの一つ一つがくすぐったい。
ところで、ぼくは作家の手書き原稿を見るのが好きだ。
数年前に太宰の『人間失格』の肉筆原稿がそのまま出版されて、
いささか興奮した。
太宰は、半ペラ(二百詰原稿用紙)に万年筆を使って書いていた。
太宰治の妻美知子の証言によると、
半ペラを使うようになったのは、昭和13年からだという。
「富岳百景」が発表されたのは昭和14年。
つまり、同作は半ペラで書かれたことになるだろうか。
太宰は妻の万年筆を使って書いていた。
もとより文房具に凝らない性質だったらしく、
万年筆へのこだわりも特別なかったのだろう。
妻は次のように回想する。
太宰が使っているうちに軸の工合がわるくなったが、
いちいちインクをつけて書いていた。ペン先を取り替える手間だけは省けたわけである。
「エヴァーシャープ」という商標であるが、
十年、これ一本で書き続けることが出来たのは
太宰が軽く字を書くからであったろう。
(津島美知子著『回想の太宰治』より)
ちなみに、太宰が使っていたインクの色は黒である。
ぼくはこのインクの色と、
新潮文庫版の背表紙の黒がリンクしているように感じる。
太宰を毛嫌いしていた三島由紀夫は、
ブルーのインクを使って原稿を書いている。
三島の原稿は美しい。
人に見られることを意識して書かれた字だと思う。
ブルーのインクを使って書かれた文字を見ると、
ぼくは決まって三島を思い出す。
もし、太宰がブルーのインクを使って小説を書いたら、
何か影響はあっただろうか。
たかがインクだが、
色が人の心理にもたらす影響を考えると、
作家の人生に全くの無関係ではないように思う。
女性と玉川上水に心中した太宰と、
市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をした三島。
三島もまた黒のインクを使っていたら、
作風や生き方が多少違っていただろうか。
ちなみに、ぼくはパーカーの万年筆を愛用している。
使っているインクはブルーブラック。
原稿送信はパソコンで入力したデータだが、
やはり手書きは好きだ。
池波正太郎が万年筆を「刀」に喩えたように、
1本でもこだわりの筆記用具を持つと、
その人を象徴する武器になると思う。
太宰は、女性をきっかけにして、
安定した生活から破綻へと突き進んでいった。
富士はそのときも、ドデンと逞しくそびえ立っていたのだろう。
ただ、太宰の心に富士はもう響かない。
「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい」と書いているように、
彼の瞳に映る富士は、次第に曇っていった。
太宰治の墓碑にて(東京都三鷹)