バスの車窓から戦記念碑の大きな像が見えてきた。
お昼を少し回った頃だが、多くの人がその周囲を、さほど意味あるふうでもなくぶらついている。
そこは見覚えのある風景だった。
やがて、バスは停留所に滑り込んだ。
咄嗟にわたしはバックパックを抱え、開け放しの乗降口からバスを降りた。
確か、記憶が正しければ、カオサン通りはこのバス通りから一本入ったところにあるはずだった。
2年前とほとんど風景は変わっていなかったが、街は少し近代的になっているような気がした。よく見ると通りを歩く人びとの服装もいくらか垢抜けた感がある。
わたしは、通りの向こう側に渡ろうとして、何気なしに歩みを止めた。目の前に歩行者用の信号があっ
たからだ。
わたしは、ハッとした。
歩行者用の信号を最後に見たのはいつのことだったか。ハノイやホーチミンにはあったと思うが、プノンペンには確かなかったと記憶の糸を手繰っていきながら、思わずわたしは苦笑してしまった。
バンコクはそれまで通ってきた街とは比較にならないほど大都会だったのだ。
ひっきりなしに行きクルマも行き交う。それも鈴なりにである。
今更ながらに「バンコクに来たんだな」と思う。
信号を渡って、通りの裏に入ると、ハードロックの大音量が流れてきた。
やはり、ここがカオサン通りで間違いなかったようだ。その通りに足を踏み出すと、アジアの街角から雰囲気は一変する。
カオサン通りは相変わらず退廃的だった。
通りにまで溢れる椅子とテーブルに腰掛けた長髪のヨーロピアンがまだ真昼間にも関わらずシンハービールをラッパ飲みしている。いや、ヒッピーばかりではない。よく見ると東アジアののっぺりした顔も見える。真っ黒に日焼けした日本人もけたたましい馬鹿笑いを撒き散らしている。
数年前にバンコクでの日本人の溜まり場であったジュライホテルが閉鎖され、日本人のバックパッカーは一気にカオサン通りへと流れ込んできた。
そして、カオサン通りは相変わらずのようだった。
さて、今晩はどこへ泊まろうか。
事前に何も決めていなかったので、わたしは立ち止まり、あたりをきょろきょろと見回した。
ここなら宿には困ることはない。
なにしろ、通りにあるお店のほとんどがゲストハウスなのだ。
だが、居心地がいいかは全く保証されない。ゲストハウスとセットになったカフェからは、絶えずヒッピーの奇声か、スピーカーから響くひずんだエレキギターの音が噴出してくるからである。
とりあえず、コーヒーでも飲むか、それともバンコク屋台でぶっかけ飯でも食べながらゆっくりと考えてみようか、そう思いながらカオサン通りをチャオプラヤー川の方向へわたしは歩き出した。
通りの真ん中まで来ると見覚えのあるカフェがあった。コカコーラの赤い看板が目印の派手なカフェだ。
2年前にわたしはこの店の隣の宿に泊まり、その晩、この店で食事をとったのである。
その宿はもう跡形もなく消え、土産物屋に様変わりしていたが、カフェは全く変わらず、その時のままだった。
懐かしく思い、わたしは2年ぶりに、そのカフェに入ってみることにした。
相変わらずけばけばしい椅子とテーブル、そしてやや大きめのテレビからはアメリカの娯楽映画のビデオが流れ、店のBGMにボブ・マーリィの陽気なレゲエがかかっている。
どれも2年前とほとんど変わらない。
わたしは、適当に4人がけのテーブルに腰かけ、メニュー表を繰った。
タバコをふかしながら、何を飲もうか、或いは何か口にしようか、思案していると、背後からわたしを呼ぶ声が聞こえる。
「熊猫さん!熊猫さん!」
振り返ると、シェムリアップのゲストハウスで時折話をした大学生のH本君がにこにことこちらを見ながら手を振っている。
わたしも手を振っていると、彼は店内に入って近づいてきた。
「熊猫さん、いつ来たんですか?」
と息せき切って質問する彼に「たった今だよ」と答えると彼は空いている椅子に座って、こう切り出した。
「部屋をシェアしましょうよ」。
それは、願ってもない申し出だった。
バンコクは物価が高い。ひとりでシングルを借りるより、2人でツインの方が断然安いはずだ。
「もちろん、OKさ」。
二つ返事でそう返すと、彼もにこにこと笑顔で返してきた。
だが、この後わたしがバンコクにどっぷりと沈没していくことを、この時点で誰が予測できただろうか。
お昼を少し回った頃だが、多くの人がその周囲を、さほど意味あるふうでもなくぶらついている。
そこは見覚えのある風景だった。
やがて、バスは停留所に滑り込んだ。
咄嗟にわたしはバックパックを抱え、開け放しの乗降口からバスを降りた。
確か、記憶が正しければ、カオサン通りはこのバス通りから一本入ったところにあるはずだった。
2年前とほとんど風景は変わっていなかったが、街は少し近代的になっているような気がした。よく見ると通りを歩く人びとの服装もいくらか垢抜けた感がある。
わたしは、通りの向こう側に渡ろうとして、何気なしに歩みを止めた。目の前に歩行者用の信号があっ
たからだ。
わたしは、ハッとした。
歩行者用の信号を最後に見たのはいつのことだったか。ハノイやホーチミンにはあったと思うが、プノンペンには確かなかったと記憶の糸を手繰っていきながら、思わずわたしは苦笑してしまった。
バンコクはそれまで通ってきた街とは比較にならないほど大都会だったのだ。
ひっきりなしに行きクルマも行き交う。それも鈴なりにである。
今更ながらに「バンコクに来たんだな」と思う。
信号を渡って、通りの裏に入ると、ハードロックの大音量が流れてきた。
やはり、ここがカオサン通りで間違いなかったようだ。その通りに足を踏み出すと、アジアの街角から雰囲気は一変する。
カオサン通りは相変わらず退廃的だった。
通りにまで溢れる椅子とテーブルに腰掛けた長髪のヨーロピアンがまだ真昼間にも関わらずシンハービールをラッパ飲みしている。いや、ヒッピーばかりではない。よく見ると東アジアののっぺりした顔も見える。真っ黒に日焼けした日本人もけたたましい馬鹿笑いを撒き散らしている。
数年前にバンコクでの日本人の溜まり場であったジュライホテルが閉鎖され、日本人のバックパッカーは一気にカオサン通りへと流れ込んできた。
そして、カオサン通りは相変わらずのようだった。
さて、今晩はどこへ泊まろうか。
事前に何も決めていなかったので、わたしは立ち止まり、あたりをきょろきょろと見回した。
ここなら宿には困ることはない。
なにしろ、通りにあるお店のほとんどがゲストハウスなのだ。
だが、居心地がいいかは全く保証されない。ゲストハウスとセットになったカフェからは、絶えずヒッピーの奇声か、スピーカーから響くひずんだエレキギターの音が噴出してくるからである。
とりあえず、コーヒーでも飲むか、それともバンコク屋台でぶっかけ飯でも食べながらゆっくりと考えてみようか、そう思いながらカオサン通りをチャオプラヤー川の方向へわたしは歩き出した。
通りの真ん中まで来ると見覚えのあるカフェがあった。コカコーラの赤い看板が目印の派手なカフェだ。
2年前にわたしはこの店の隣の宿に泊まり、その晩、この店で食事をとったのである。
その宿はもう跡形もなく消え、土産物屋に様変わりしていたが、カフェは全く変わらず、その時のままだった。
懐かしく思い、わたしは2年ぶりに、そのカフェに入ってみることにした。
相変わらずけばけばしい椅子とテーブル、そしてやや大きめのテレビからはアメリカの娯楽映画のビデオが流れ、店のBGMにボブ・マーリィの陽気なレゲエがかかっている。
どれも2年前とほとんど変わらない。
わたしは、適当に4人がけのテーブルに腰かけ、メニュー表を繰った。
タバコをふかしながら、何を飲もうか、或いは何か口にしようか、思案していると、背後からわたしを呼ぶ声が聞こえる。
「熊猫さん!熊猫さん!」
振り返ると、シェムリアップのゲストハウスで時折話をした大学生のH本君がにこにことこちらを見ながら手を振っている。
わたしも手を振っていると、彼は店内に入って近づいてきた。
「熊猫さん、いつ来たんですか?」
と息せき切って質問する彼に「たった今だよ」と答えると彼は空いている椅子に座って、こう切り出した。
「部屋をシェアしましょうよ」。
それは、願ってもない申し出だった。
バンコクは物価が高い。ひとりでシングルを借りるより、2人でツインの方が断然安いはずだ。
「もちろん、OKさ」。
二つ返事でそう返すと、彼もにこにこと笑顔で返してきた。
だが、この後わたしがバンコクにどっぷりと沈没していくことを、この時点で誰が予測できただろうか。
バンコクで沈没するタイプじゃないと思い込んでたから、ちょっとびっくりしたよ。(笑)
さて、どんな風に沈没していくのか楽しみだ。
この頃はホーチミン、プノンペン、シェムリアップと各10日ずつ過ごしているし、完全に前に進む気力を失っていた時期だったよ。
バンコクは何か事件が起きるわけではないから、ストーリーとしては平凡だなぁ。
年の瀬は蕎麦屋でゆる~りと昼酒が旨い時ですね(笑)
どうぞ良いお年をお迎え下さい。
蕎麦屋で昼酒、いいですね~。
新年もティコティコさんにとって素晴らしい年でありますように。
来年こそどこかの酒場ですれ違いたいですね。
よいお年をお迎えください。