翌朝、わたしはカオサン通りからミニバスに乗って出発した。そこからバンコクのバスターミナルまで行き、デラックスバスに乗り換えてチェンマイに向かう予定なのである。
カオサンでは、ルームメイトのH本君が見送ってくれた。彼はほどなくして日本に帰国するのだという。
結局、彼とは2週間ほど同じ部屋で暮らした。
バスターミナルで待っていたデラックスバスは文字通り、その名に負けない豪華な車両だった。
アジアを旅する者は「デラックスバス」におおいなる期待を抱かない。そのほとんどは名前倒れだからだ。
たいていはオンボロのバスで板バネはへたり、場合によってはバスが傾いていることも珍しくなかった。
ディーゼルエンジンの轟音ばかりが大きい割にあまりスピードが出ない。
そして、そのほとんどにエアコンなどつくはずもなかった。
そうした装備にも関わらず、アジアのバスターミナルで長距離バスをブッキングすると大概「デラックス・コーチ」とチケットに記されるのであった。
ただ、今目の前にあるバスは正真正銘のデラックスの名に相応しい外観である。
日本の観光バスという趣で客席は見上げるほど上にある。
早速乗り込むとシートもフカフカで快適だ。
驚くことにエアコンも効いており、車内は涼しい。
「これは素晴らしい」と思う反面、何か後ろめたい気持ちにもなった。
バックパッカーとは不思議な人種である。
貧乏であればあるほど、過酷であればあるほどに、バックパッカー仲間から尊敬され崇拝される。いかに安い金額で物品を購入したか、そしてその値段交渉のプロセスがいかに困難を極めたかを滔々と話すほどに他のバックパッカーらから一目置かれる存在となるのだ。
そして、もうひとつ重要なのが、日本を出てからの日数だ。
それが、長ければ長いほど偉いとされる。
言い換えれば、高い金を出して宿に泊まる者。或いはサービスを受ける者は軽蔑される存在になるといっていい。
したがって今、高級なバスに乗り込んで、チェンマイに向かう自分が何か罪を犯してしまっているようで居心地はすこぶる悪い。
バスの中は全てが欧米人で占められていた。
日本人はただの一人も乗っていなかったのである。
バンコクからチェンマイまでは直線で約400km。
日本では東京から大阪までは新幹線で約3時間だが、アジアのバス移動ともなればそう簡単には行かない。
中国では僅か100kmの場所なのに早朝から12時間をかけることもあったり、そうでなくともヴェトナムでは200kmほどの距離をやはり12時間かけてミニバスを走らせるといった交通事情であった。
だが、このタイでは、道路事情及び自動車性能が発達していることで、朝9時に出発したバスは午後3時にはチェンマイの古びたバスターミナルに到着したのである。
バスはほとんどスーパーハイウェイを通り、快適に運行していた。
これだけ、早く着くとやはり予定を決めていない旅人にとっては助かる。なにしろ、上記の理由から大抵バスでの移動は目的地に到着するのが、夜も更けてからということになる。そこからの宿探しは極めて憂鬱だ。
疲れているうえに、宿はなかなか見つからないという状況がほとんどだからである。だが、チェンマイに着くといつもの事情とは少し異なっていた。
ひとつに、まだ夕方前ということもあって、町はまだ明るかったこと。
いつもの旅程より短くてあまり疲れていないこと。
そして、一番驚いたのはバスターミナルにもかかわらず連絡するバスが他になく、それでいて、恐ろしく何もない広場に乗客が降ろされたことである。
暫くすると、一台のトラックが現れて、「宿まで無料」という表示を出しながら、若いタイの兄ちゃんが客引き始めた。
欧米人たちはこぞってそのトラックの荷台に乗り始めた。
若いブロンドの女性が「あなたも早く乗ったら」と声をかけてきた。
「このトラックを逃すとここで野宿だわ」などと呟いている。
それもあながち出鱈目ではない雰囲気だった。
気がつくと、わたしもその平ボデーのトラックの荷台に乗り込んでいた。
どんな宿に連れて行かれるのか、一体そこにはドミトリーがあるのか、それよりもその宿の宿泊費は一体いくらなのか、それすら分からぬまま、わたしは不本意ながらトラックに乗り込んだ。
まるで、野菜やなにかの荷物のように。そうして、ガタゴトと運ばれるわたしは何か惨めな気持ちになってきた。
20人ほどの欧米人たちは楽しく談笑している。
だが、なにか人買いに売られていくような心細い気持ちでわたしは流れていくタイ北部の田舎町の風景を眺めていた。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
カオサンでは、ルームメイトのH本君が見送ってくれた。彼はほどなくして日本に帰国するのだという。
結局、彼とは2週間ほど同じ部屋で暮らした。
バスターミナルで待っていたデラックスバスは文字通り、その名に負けない豪華な車両だった。
アジアを旅する者は「デラックスバス」におおいなる期待を抱かない。そのほとんどは名前倒れだからだ。
たいていはオンボロのバスで板バネはへたり、場合によってはバスが傾いていることも珍しくなかった。
ディーゼルエンジンの轟音ばかりが大きい割にあまりスピードが出ない。
そして、そのほとんどにエアコンなどつくはずもなかった。
そうした装備にも関わらず、アジアのバスターミナルで長距離バスをブッキングすると大概「デラックス・コーチ」とチケットに記されるのであった。
ただ、今目の前にあるバスは正真正銘のデラックスの名に相応しい外観である。
日本の観光バスという趣で客席は見上げるほど上にある。
早速乗り込むとシートもフカフカで快適だ。
驚くことにエアコンも効いており、車内は涼しい。
「これは素晴らしい」と思う反面、何か後ろめたい気持ちにもなった。
バックパッカーとは不思議な人種である。
貧乏であればあるほど、過酷であればあるほどに、バックパッカー仲間から尊敬され崇拝される。いかに安い金額で物品を購入したか、そしてその値段交渉のプロセスがいかに困難を極めたかを滔々と話すほどに他のバックパッカーらから一目置かれる存在となるのだ。
そして、もうひとつ重要なのが、日本を出てからの日数だ。
それが、長ければ長いほど偉いとされる。
言い換えれば、高い金を出して宿に泊まる者。或いはサービスを受ける者は軽蔑される存在になるといっていい。
したがって今、高級なバスに乗り込んで、チェンマイに向かう自分が何か罪を犯してしまっているようで居心地はすこぶる悪い。
バスの中は全てが欧米人で占められていた。
日本人はただの一人も乗っていなかったのである。
バンコクからチェンマイまでは直線で約400km。
日本では東京から大阪までは新幹線で約3時間だが、アジアのバス移動ともなればそう簡単には行かない。
中国では僅か100kmの場所なのに早朝から12時間をかけることもあったり、そうでなくともヴェトナムでは200kmほどの距離をやはり12時間かけてミニバスを走らせるといった交通事情であった。
だが、このタイでは、道路事情及び自動車性能が発達していることで、朝9時に出発したバスは午後3時にはチェンマイの古びたバスターミナルに到着したのである。
バスはほとんどスーパーハイウェイを通り、快適に運行していた。
これだけ、早く着くとやはり予定を決めていない旅人にとっては助かる。なにしろ、上記の理由から大抵バスでの移動は目的地に到着するのが、夜も更けてからということになる。そこからの宿探しは極めて憂鬱だ。
疲れているうえに、宿はなかなか見つからないという状況がほとんどだからである。だが、チェンマイに着くといつもの事情とは少し異なっていた。
ひとつに、まだ夕方前ということもあって、町はまだ明るかったこと。
いつもの旅程より短くてあまり疲れていないこと。
そして、一番驚いたのはバスターミナルにもかかわらず連絡するバスが他になく、それでいて、恐ろしく何もない広場に乗客が降ろされたことである。
暫くすると、一台のトラックが現れて、「宿まで無料」という表示を出しながら、若いタイの兄ちゃんが客引き始めた。
欧米人たちはこぞってそのトラックの荷台に乗り始めた。
若いブロンドの女性が「あなたも早く乗ったら」と声をかけてきた。
「このトラックを逃すとここで野宿だわ」などと呟いている。
それもあながち出鱈目ではない雰囲気だった。
気がつくと、わたしもその平ボデーのトラックの荷台に乗り込んでいた。
どんな宿に連れて行かれるのか、一体そこにはドミトリーがあるのか、それよりもその宿の宿泊費は一体いくらなのか、それすら分からぬまま、わたしは不本意ながらトラックに乗り込んだ。
まるで、野菜やなにかの荷物のように。そうして、ガタゴトと運ばれるわたしは何か惨めな気持ちになってきた。
20人ほどの欧米人たちは楽しく談笑している。
だが、なにか人買いに売られていくような心細い気持ちでわたしは流れていくタイ北部の田舎町の風景を眺めていた。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
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