マトゥラーは小さな町だった。モスキートコイルを買って、宿に戻り、昼ごはんを食べに再び町に出かけたが、食堂すら見つからなかった。
しばらく歩き、ようやく食堂を探し出したとき、わたしはもう汗だくになっていた。なにしろ暑い。ニューデリーに滞在していたときよりも更に気温が高く感じられる。
わたしは食堂に入って、テーブルに着き、ターリーを注文した。
外国人が珍しいのか、でっぷりと肥えた店の主人は、わたしにコップを運びながら、「こんな町に何しにきたんだ?クリシュナか?」と尋ねてきた。
わたしが「クリシュナ?」とおうむ返しに訊くと、彼は「クリシュナを知らないのか?」と少し呆れた顔になった。すぐさま主人は店の奥に消えていき、しばらくして一枚の紙を持ってボクのテーブルに戻ってきた。
主人が手にしていた紙には青い顔をした子どもが描かれている。その子どもが「クリシュナ」だった。
「クリシュナはマトゥラーで生まれたんだ」
店主は、誇らしげに笑いながら言った。
ヒンドゥの神々のひとりであるクリシュナ。とりわけ、インド人の中でも人気が高い神であったことは、後のインド放浪で様々な人から聞くことになる。
だが、このときのわたしは、ヒンドゥの神々には興味がなかった。
ターリーを食べて、町に出た。わたしはヤムナー川にあるガ―ト、つまり沐浴場を目指した。ガートがあるということは、今さっきお腹いっぱいに食べさせてくれた、定食屋のおやじからきいた情報だった。
そのおやじに教えられた道順を行くものの、しばらくすると人家はおろか、何もない広大な荒野に出た。まさか、この荒野を歩くのか、ちょっと面倒だなと考えていると、背後から「どこへ行きたいのか」と声がかかった。振り向くと、そこにはわたしと同い年くらいの青年が、にこにこしてたたずんでいる。
咄嗟にわたしは「ガートだ」と答えると、彼は、「ガートはこっちだ」と指を指した。それは、荒野の向こうを指さすのではなく、元来た町並みのほうだった。
そうかそうか、道を間違えていたのか。それならば、元来た道を戻ってみようか。
そうやって、わたしは彼に対して丁重にお礼を言って、踵を返した。
だが、しばらく行っても、川に出る気配がない。そう思って、道端にいる大きな体をしたお兄さんに再び「ガートはどっちですか?」と尋ねると、荒野の向こうを指さした。それは、今しがたわたしが来た道の方だった。
実は、こういうことが、その後も度々あった。しばしばインド人は、でたらめな道を教えてくれるのだった。適当なことを言って人を茶化しているのか、それともただ単純に間違えただけなのかは分からない。日本人ならば、分からないときは、分からないというが、インド人はそうではないらしい。これは、インド人の特性を表す、ひとつのエピソードといえた。
ともかく今日はついていない。ガートはまた明日に仕切り直しにしよう。そう思って、宿に帰ろうと、道を教えてくれたお兄さんにお礼を言って、歩きかけたところ、その大きな体躯をしたお兄ちゃんはわたしにこう言った。
「ちょっと、うちに寄っていかないか」。
この青年の家は、すぐそばらしい。話を聞くと、この体格のいいお兄さんは、インド相撲の選手らしく、家には道場もあるのだという。案内されて連れていかれたところは、土俵こそないものの、硬い土が敷き詰められた道場の名に相応しい場所だった。そこでは、何人かの力士がけいこをつけてもらっていた。わたしは、その練習の一部始終を見学させてもらうことにした。
どのくらい練習をみていただろうか。気が付けば、外はもう暗くなりつつある。
わたしは、丁重にお礼を言って、道場を後にした。
宿へ帰る道のりは幻想的だった。街灯もなにもない路地。道の両側の家々から、漏れてくる微かな光と声。そして、ちょうど夕飯時なのか、台所で女性が料理を作る音が聞こえてくる。
なんて心地がいいのだろう。
この風景を、わたしはかつて見たことがあると思った。それは幼少の頃の遠い記憶。なんとも言えない懐かしさがこみ上げてくる。まるで、かつての日本の元風景がそこにあった。その既視感に思わず足を止めて、わたしは夕餉の香りをかぐ。
何もない町。そのマトゥラーに、何故わたしは導かれてきたのか。ニューデリーの圧倒的なパワーがインドではないのだ。落差の激しいインドに、わたしは身震いすら感じた。
さて、インド人の道を教える件だけど、俺も食らいまくったなあ。間違ってるからという事で、どんどん聞いていくと、聞く人聞く人あっちこっち指差して、どれが正解か全く分からなくなることも多かったから、俺はある時からインドでは道を聞かないことにして地図を使うことにしたよ。
あれは多分、インドの人のどんな時でも人には施しをして徳を積むようにという宗教観と親切心。そして、地図などを使ったことがないことによる空間把握力の低さによるんじゃないかなと思うよ。
それにしてもマトゥラー、いい感じのインドの田舎具合だね。擦れて無い感がとてもいいねえ。
でも、後で聞いたら、親切心が高じて道を教えているということらしい。
でも、だんだんインド人に道は聞かなくなったね。
マトゥラーは仏教美術の発展において決定的なポイントになった場所らしいよ。
最近そんなことを知ったよ。全く何も知らずに行ったからね。