多分、常識からいえば、ちょっとおかしいのだと思う。故人の命日に赤飯を炊くなんて。でも、実母はずっとそうしてきた。祖母の命日に。
だから、ボクも何の疑いもなく、おふくろと親父の命日に赤飯を炊いてきた。そんな自分にかみさんは、ちょっと戸惑っているようだ。
今年も親父の命日が来た。
我が家の赤飯は、炊飯器で炊く。蒸すような設備と時間はない。小豆は2回に分けて茹でた。
赤飯はスローフードだ。時間をかけ、手間をかけることで、おいしくなる。
いつか、子どもらは思い出すときがくるのだろうか。
「そういや親父、たまに赤飯作ってたな」って。
「母の日」。
かみさんに楽をしてもらおうと、飯のリクエストをした。すると、返ってきた答えが「インドカレー」。ちなみに、ボクのインドカレーは、失敗続きだ。
ボクのインドカレーはカレー番長こと、水野仁輔さんのレシピを使ってきた。けれど、カレーの素を作るのに、いつも焦がす寸前までいく。しかも、レシピ通りに素材を入れても、分量が少なくなる。だから、いつも水を加え過ぎて、味が薄くなってしまうのだ。それを見越して、最初から多目に作ればいいのだが、いつも忘れてしまう。
そこで、今回はレシピを変えた。
シャンカールノグチさんのレシピである。シャンカールさんのカレーの特徴は、手間とスパイスの種類の多さである。
カレーの素の作り方は、ほぼ水野仁輔さんのと同じ。けれど、シャンカールさんは、そのカレーの素を少ししか使わない。4人分で、大さじ2である。
使用するスパイスは、クミン、ターメリック、ガラムマサラ、カイエンヌペッパーはもちろん、クローブ、フェンネル、ベイリーフ、パクチーと続く。ここまでは、自宅にあったが、更にシナモン、カルダモン、パブリカときて、とうとう見知らぬスパイスの名前が出てきた。総勢10数種のスパイスを入れる。パクチーとパブリカは実物を入れたが、持ってないスパイスは、無視することにした。
スパイスをコンプリートしなくても、さしたる問題はないと思う。ただ、バターを100gも使ったのに、酸味が強くなってしまったのは、レシピでは、トマトジュースとしていのを、スーパーで安価に売ってたものだからと、トマトペーストで代用したことである。
その結果、ちょっといまいちな「インドカレー」になった。
けれど、シャンカールさんのレシピはよかった。これからは、シャンカールさんのカレーで精進しようと思う。
とりあえず、カレーの素がまだあるので、近々リベンジする予定。今度はしっかりトマトジュースでやってみる。
自分も今まで、家に無いスパイスについては無視することも多かった。
しかしやはり、作者のレシピの意図を再現しようとすると、全てのスパイスや指定素材を使うことが必須となるし、また実際に、良く分からんスパイスや素材を使うことにより、全く印象の違う風味や味になることは(=もちろん、美味くなる方向で)多々あったよ。
ただ、そのせいで、うちはインドカレー屋よりもスパイスの種類が多くなり、それらを入れている床下収納の中は、独特の匂いがしているわけなんだけど・・・。(苦笑)
という事で、料理の成功はまず、レシピ通りに忠実につくることかと経験から強く思う次第だよ。
なお、特にカレーは、スパイス一種、また、スパイス量の違いだけでも、大きく風味や味が変わると思う。スパイス自体にインパクトや個性が強いから、その配合については意外に繊細な調合が必要なんだと思うよ。
ただその辺こだわりすぎると、もう日々の料理の粋から、マニアの趣味の料理になっていくんだろうけどね・・・。
ちなみに、うちは久々に牛すじ買ったから、明日は圧力鍋で作る牛すじカレーの予定だよ。
確かに、その通りだよ。
しかしながら、ないのは、もう仕方がないと思う。
カレー番長、水野仁輔氏のレシピは、クミンとターメリック、カイエンヌペッパー、パクチーの4種だけだよ。
作り手の思いと受け手の思いは、必ずも一致しないと思うんだ。
ただ俺の場合、作り手の思いを再現するためにというより(先の文章では書き方が悪かったな。)自分なりのアレンジを加えていくには、まず、レシピ通りに作ってその味を確認しておいたほうがいいのではないかという、「理科の実験的な正確な再現の意味合い」の方が強いんだよなあ。
なお、師も味噌汁に関しては、メチャクチャこだわりあるよね。
まあ、作る料理によって、こだわりの度合いが違うということもあるよね。
師の言うことも分かる。
そう、ありたいと思う。
師の場合、カレーがそうだし、自分の場合、味噌汁だな。
ただ、自分は、実際インドで食べたカレーが基準だよ。家庭料理に、そんなややこしいレシピと方法があるかなって。
ところで、最近自分は、ジャスミンライスを使いたいってよく思う。でも値段が高いんだよね~。