タイの北東部とラオスはメコン川を挟んで国境をなしているが、タイ北部は必ずしもそうではなく、外国人に開かれた国境も僅かに1ヶ所だけだ。
その町をチェンコンといった。
芥子の花の栽培で世界的に有名なゴールデントライアングルはもう目と鼻の先である。
わたしは、チェンマイから乗った乗り合いバスに腰かけながらタイの地図を広げて深い溜息をついた。
ゴールデントライアングルとはタイとラオス、そしてビルマの3カ国が国境をなすためにこう呼ばれている。更に北に少し行くと中国国境だ。そこはもう雲南省なのである。
雲南省、ヴェトナム、カンボジアと3ヶ月かけてインドシナ半島を歩いてきたわけだが、こうして再び、雲南省に極めて近づいている事実を思うと何故か溜息が出てきてしまうのだ。
バスの中はガラガラだった。
わたしの他には数人のヨーロピアンが乗っているだけで、現地の客は誰一人と乗っていなかった。
窓外の景色はどんよりと曇り、畑と山が延々と続く単調な道をバスはひたすら走った。
9時に出発したバスがチェンコンのひなびたバス停に着いたのは、16時近い頃合だった。わたし以外、誰も降りず、バスは黒煙を撒き散らして走り去っていった。
ここが本当に国境の町なのかと思うほど、町は寂れていた。本来、国境の町は輸出入が活発で町は活気に満ちているはずなのだが、どうもそんな様子ではない。
わたしは、「タミラゲストハウス」というバックパッカー仲間から聞かされていた、安宿を探すために歩き始めた。バス通りを適当に歩いていると、その宿はすぐさま見つかった。なんてことはない。
町が狭いうえに、チェンコンにあるゲストハウスは僅かに3軒だったからである。
チェックインするために、ゲストハウスの敷地に足を踏み入れると、目の前はもうメコン川だった。
とろりとした茶褐色の川面が悠然と流れている。
その向こうに見える大地がラオスだ。
既に国境は何度も見ているつもりだが、国境地帯が身近にない日本人にとって、国境とはやはり不思議なものである。
国境を境にして、国家が変わるというのはどういうことなのか。いや、そもそも国家とは何なのだろうか。
ゲストハウスもガラガラのようだった。
ドミトリーなどといった気のきいたものはなく、シングルルームにチェックイン。窓も何もない部屋だったが、一泊だけの宿と思えば特段不自由はなかった。
宿に到着して、辺りを散策したが、町の端から端まで僅か20分で行けるほど、チェンコンは小さな町だった。その北端まで行くと、出国手続きをするイミグレーションを見つけた。なんとも地味な事務所であった。
町には、人の気配はほとんどなく、食堂も小さな店が2~3軒しか見当たらない。
まだ早い時間だったが、わたしは、そのうちの一軒に寄って、シンハービールを頼み、いよいよ明日に迫ったラオス行きの祝杯をあげたのだった。
国境越えはかなりワクワクする瞬間である。
これまで、船での国境越えは中国―香港、香港―マカオに次いで3回目だが、メコンを渡るとなると別格だ。あの長大なメコンを渡ると考えれば、心躍らずにはいられない。
だが、そのメコンの国境越えも実に呆気ないものだった。
翌朝、はやる気持ちを抑えきれず、早起きしてしまったわたしは、イミグレのオープン時間までなんとか時間を潰したのだが、出国手続きを済ませて乗った渡しの船は実に5分で対岸へと行き着き、風景を眺めることもなくラオスへと上陸してしまったのだった。
※写真はチェンコンのイミグレーションの前にて熊猫刑事
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
その町をチェンコンといった。
芥子の花の栽培で世界的に有名なゴールデントライアングルはもう目と鼻の先である。
わたしは、チェンマイから乗った乗り合いバスに腰かけながらタイの地図を広げて深い溜息をついた。
ゴールデントライアングルとはタイとラオス、そしてビルマの3カ国が国境をなすためにこう呼ばれている。更に北に少し行くと中国国境だ。そこはもう雲南省なのである。
雲南省、ヴェトナム、カンボジアと3ヶ月かけてインドシナ半島を歩いてきたわけだが、こうして再び、雲南省に極めて近づいている事実を思うと何故か溜息が出てきてしまうのだ。
バスの中はガラガラだった。
わたしの他には数人のヨーロピアンが乗っているだけで、現地の客は誰一人と乗っていなかった。
窓外の景色はどんよりと曇り、畑と山が延々と続く単調な道をバスはひたすら走った。
9時に出発したバスがチェンコンのひなびたバス停に着いたのは、16時近い頃合だった。わたし以外、誰も降りず、バスは黒煙を撒き散らして走り去っていった。
ここが本当に国境の町なのかと思うほど、町は寂れていた。本来、国境の町は輸出入が活発で町は活気に満ちているはずなのだが、どうもそんな様子ではない。
わたしは、「タミラゲストハウス」というバックパッカー仲間から聞かされていた、安宿を探すために歩き始めた。バス通りを適当に歩いていると、その宿はすぐさま見つかった。なんてことはない。
町が狭いうえに、チェンコンにあるゲストハウスは僅かに3軒だったからである。
チェックインするために、ゲストハウスの敷地に足を踏み入れると、目の前はもうメコン川だった。
とろりとした茶褐色の川面が悠然と流れている。
その向こうに見える大地がラオスだ。
既に国境は何度も見ているつもりだが、国境地帯が身近にない日本人にとって、国境とはやはり不思議なものである。
国境を境にして、国家が変わるというのはどういうことなのか。いや、そもそも国家とは何なのだろうか。
ゲストハウスもガラガラのようだった。
ドミトリーなどといった気のきいたものはなく、シングルルームにチェックイン。窓も何もない部屋だったが、一泊だけの宿と思えば特段不自由はなかった。
宿に到着して、辺りを散策したが、町の端から端まで僅か20分で行けるほど、チェンコンは小さな町だった。その北端まで行くと、出国手続きをするイミグレーションを見つけた。なんとも地味な事務所であった。
町には、人の気配はほとんどなく、食堂も小さな店が2~3軒しか見当たらない。
まだ早い時間だったが、わたしは、そのうちの一軒に寄って、シンハービールを頼み、いよいよ明日に迫ったラオス行きの祝杯をあげたのだった。
国境越えはかなりワクワクする瞬間である。
これまで、船での国境越えは中国―香港、香港―マカオに次いで3回目だが、メコンを渡るとなると別格だ。あの長大なメコンを渡ると考えれば、心躍らずにはいられない。
だが、そのメコンの国境越えも実に呆気ないものだった。
翌朝、はやる気持ちを抑えきれず、早起きしてしまったわたしは、イミグレのオープン時間までなんとか時間を潰したのだが、出国手続きを済ませて乗った渡しの船は実に5分で対岸へと行き着き、風景を眺めることもなくラオスへと上陸してしまったのだった。
※写真はチェンコンのイミグレーションの前にて熊猫刑事
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
どうぞ良いお年をお迎え下さい(^_-)-☆
ティコさんも、よいお年をお迎えください。
ただ、アジアは比較的物々しかったけど、EU諸国とかだと、時間帯によっては監視員すらいなかったのには驚いたなあ。
ラオス編、今度はどんな事が起こるのかな。楽しみにしてるよ。
さて、新年明けましておめでとう師よ。今年もよろしく。
しかし、今年師が学生になるなんて驚いたよ。やってくれるねえ。なんの勉強をするの?
おめでとう。
今年もよろしく!
インディさんの虎柄、今年もいい感じだね。
とろこで、師のラオス入国はどこだった?
このチェンコン―フェイサイじゃなかったのか?
これについての言及がないからさ。
別のルートからの入国だったのか?
ラオ編は段々ダラダラモードで間延びしてるって感じだよ。
さて、大学の件だが、実は師の家にお邪魔した翌週に二次試験が控えており、そのときは話題に出さなかったんだ。
不合格だと恥ずかしいもんね。
なお、勉強についてだが、人間科学という分野だよ。
このルート、ネットで調べるとかなりの数のHPとかが出てくるところを見ると、王道といっていいメジャールートなんだろうね。
なお、俺のラオス生活はほんと寂しかったようで、日記にはそんな事が書き連ねてあった。情けない話だけどね。
さて、大学の件だが入試もあったんだね。この年で試験に合格するなんて凄い事だな。合格おめでとう師よ。
あと、年始に送ってくれた添付ファイル、あれ何だったのか今でもちょっと気になってるんだよなあ・・・。
ノーンカーイって表記するとタイ人の発音に近くなるね。雑誌「旅行人」の別冊には「ノンカイ」ってなってるよ。
さて、大学は入試といっても、書類選考と面接だけだよ。全然凄くない(笑)。だが、師よ。ありがとう。