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居酒屋さすらい 1944 - 望郷の酒場 - 「夜行列車」(台東区上野)

2022-09-15 20:40:18 | 居酒屋さすらい ◆東京都内

「古城」を出て、H部さんと一献行くことになった。

行先はアメ横にある居酒屋「夜行列車」。もう随分前から、H部さんとは、このお店に行こうと約束していたのだ。

ガチ勢とは違って、ライトな部類ではあるが、自分もH部さんも鉄ちゃんである。

以前、H部さんは、札幌で行われた、とある会合に、ブルートレインに乗って現れたことがあった。廃止が目前に迫った「北斗星」で。

「しまった。その手があったか」と随分自分は悔しい思いをした。しかし、今時(といってももうかれこれ10年くらいも前だが)、飛行機全盛の時代で、わざわざ夜行列車に乗って札幌に行く人がいるだろうか。H部さんは、間違いなく鉄っちゃんである。

 

「最近、営ってないんですよ」。

H部さんは、居酒屋「夜行列車」が最近営業していないので、今夜も開いていないんじゃないかと心配していたが、行ってみると、心配は杞憂。お店はしっかり営業していた。店内に入り、一番奥のカウンターに着座した。

「夜行列車」は、日本酒が中心のお店である。東北を中心に各地の地酒を置いている。

「お、『花泉』(800円)もあるのか」と思い、自分はまずはその会津の酒からスタートした。H部さんは黒部の「銀盤」をチョイス。さすがH部さん。

 

「夜行列車」は思っていたとおり、雰囲気のいいお店だった。上ついた若者はいない、大人のお店。

H部さんが店主に、「最近営っていなかったようですが、どうしたのですか?」と尋ねると、店主は、「え? 営ってましたよ」と言う。

「15時に来ても開いていない」とH部さんが言えば、店主は「あ、開店は16時からにしたんです」と答えた。店主はまだ若く、かつてH部さんが通い始めた頃は、まだご年配のお父さんがお店を切り盛りしていたという。

「昔は、お父さんがいらっしゃいましたね」

とH部さんが店主にいうと、「父はこの春に亡くなりました」と店主はしんみりと語った。先代のご出身がどこかは分からない。けれど、想像を逞しくするなら、北東北の方ではないかと思う。そうでなければ、このお店を始める訳がない。

お料理のメニューは基本的には和の肴が中心である。H部さんは、茗荷のあえもの、自分は焼き鯖をオーダーした。

最近、芥川賞作家、三浦哲郎さんの「盆土産」を読んだ。出稼ぎに出たお父さんが、子どもに「エビフライ」を食べさせたく、無理してお盆に帰郷する話しである。お父さんは当然、夜行列車に乗って家に帰る訳で、夜行列車というキーワードは、北東北を象徴するものである。

帰れる人はまだいいのかもしれない。帰れない人にとっては、物理的にも金銭的にも、北東北は遠い地である。金の卵ともてはやされた人たちは、多かれ少なかれ、望郷の念に取り憑かれ、上野まで来たものの、帰れない人は、アメ横の酒場に寄って、お国言葉を聞き、自らの気持ちを慰めたのだろう。アメ横には今も幾つか、そういう酒場があり、「夜行列車」もそのうちの一つだと思う。先代が亡くなられた今、二代目がしっかりと店を守る。金の卵も出稼ぎも、もう今は昔だが、それでもまだ心の「夜行列車」はあるはずだ。

肴の酒もうまくて、ついつい杯が進む。

今度は自分が「銀盤」を頼んで、H部さんは、「天狗舞」を注文した。注がれた酒を見て、彼はポツリ。

「酒が黄色い」。

そうそう、あれは何年前だったか、福井で会合があった夜、街へ繰り出し、「新川」という店で酒を飲んだ。翌日、H部さんは京都の別邸に帰るとなった時、自分もノリで京都に行く! となり、二人で、特急「サンダーバード」に乗って京都に行ったのだ。その道中も飲みっぱなしで、酒を飲むごとに、「黄色い酒はうまい」と言ったものである。

懐かしい。

とにかく、酒はうまいし、肴も最高だ。懐かしい話しに花を咲かせ、気分がいい。

H部さんとは、北は札幌、南は熊本。様々な場面で、酒を酌み交わしてきた。そんな友とまたこうして飲めるのが嬉しい。本当に楽しい夜だった。

ちなみに、H部さんは、自分が独立する際、唯一送別会を開いてくれた人。この日はそれ以来の飲み会だった。

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