「エスニックさすらひ」?
そんなコーナーあったっけ?と自分ですら分からない。もう何でもありのさすらひシリーズなのである。
コロナ禍で休止していた旅記事のライター業だったが、コロナが一息ついて、また10月から再開したのだった。しかしながら、遠出する機会はないからもっぱら都内の散歩みたいなのを記事にするしかなく、厳密に旅といえるかは自信がない。
最近、気になっているテーマは坂道である。坂は文学作品に登場するなど、過去と今を繋ぐ目印の役割を果たしている。建物なとがいくら近代化しても坂道はあまり変わらず、それが過去を遡る手がかりになるのだ。
実は、この日はかみさんと約束をしたものだから久しぶりに茗荷谷に行くことになった。茗荷谷駅の東側にたたずむ長い坂は湯立坂。「タモリのTOKYO坂道美学入門」の総合評価で一位を獲得した由緒ある坂。あぁ、この坂を下るのは2年ぶりか。
20年ほど前、歯医者に通うのに毎週この坂を登り降りしたっけ。鬱蒼とした森となだらかなカーブが実にいい。300mはあろうかという長さもまた圧巻で、格付けの高さの所以だろう。
坂を下ると千川通りにぶつかり、その交差点の角にロシア料理の「ソーニヤ」がある。この日はここでかみさんとランチなのだ。
「ソーニヤ」は4年ぶり3度目の訪問。実は初めて来た時の感動が忘れられず、2年かに一回はランチをいただきに来る。何が感動かって言ったら自分の知らない世界が開けたような感覚。何故自分はロシアのことを今まで何も知らなかったのかと。
まず素晴らしいのがお店の雰囲気。ヨーロッパだけど西側ではない、そんな空気感がひしひしと伝わってくる。重厚なテーブルに真紅のテーブルクロス。モスクワに行ったことはないが、それなりのレストランに行ったら、こんな雰囲気なんだろうなと思わせる。
ランチは「ボルシチセット」のみ。ボルシチにサラダとピロシキがついてきて、あとはご飯やライ麦パンをつけたり飲み物をつけるというセットが用意されている。ロシアコーヒーがまた格別なのでドリンクをつけて1,800円。ランチとしてはいい値段ではある。
けれど、「ボルシチ」をいただけば、それが妥当なプライスであることはすぐ分かる。じつくり煮込まれたスープはもう別格。とにかくうまいのだ。
自分が見様真似のレシピで作ったボルシチはビーツ中心で赤いスープなったが、「ソーニヤ」の「ボルシチ」の赤はトマトなのである。ビーツはほんの少し入っているだけ。なるほど。これが本場の「ボルシチ」か!と目から鱗なのである。その「ボルシチ」をホフロマ塗りのスプーンでいただくのだ。
「ボルシチ」をいただくと今度は「ピロシキ」が運ばれてきた。
見た目はカレーパン。揚げパンである。シナモンの香りがいい。しっかり下味がついた挽肉がホックホク。これ、調理が難しいそうだけど一体どうやっているのか。
そして最後が口直しのコーヒー。
ウィンナーコーヒーのように生クリームが浮いているのだ。これがまたおいしくて。
しかし、我々はあまりにもロシアのことを知らなさすぎるのではないか。西側文化ばかりに毒されて大国ロシアの何を知っているというのか。
2年に一回食べたくなる「ソーニヤ」のランチ。我々の全く知らない世界がここにはある。
ガキの頃、四条大丸の地下食品売り場で、塩味とカレー味のピロシキが売ってて、それが俺の大丸での楽しみだったんだけど、10代後半だったかに店がなくなって、とても悲しんだ記憶があるよ。
それが俺の初めてのロシア料理との接点なんだけど、数年前、妹にリクエストしてピロシキ作ってもらった。
超懐かしい味で、やっぱ美味かったよ。
数年に一度夫婦で訪問するロシア料理、いいイベントだな、師よ。
そんな幼少の頃からピロシキなるものを知っていたのか。自分がピロシキを知ったのって多分大人になってからだと思うのだが、それほどソ連とかロシアって何の情報も入ってこなかった象徴だと思う。
妹さん、ピロシキ作ってくれたか。揚げが足りなければ中の挽肉に火が通らず、揚げすぎるとパンが焦げる。ピロシキは手間かかるし、難しそうだ。
このピロシキって中華と欧州文化の交差の様な気がするよ。春巻きや餃子のように皮でくるむのをパンになっていて。興味深いよ。
師は幼少の頃から焼肉行ってセンマイを食べたり、ピロシキが楽しみだったり。子どもの頃から食文化の経験が豊富だよね。自分は親と食事に行ったことって数回しかないから、世界にどんな食べ物があるかなんて知らなかったし、興味もなかった。小学校4年の時に給食でタルタルソースが出てきた時、「なんだこれ」って感じだった。
小さい頃から食文化を知るのって重要だよ。
なおピロシキ、中身は火を通してから生地に入れて揚げるから、そんなに難しくないと思うよ。今思えば、カレーパンとかのロシアバージョンだったから俺、好きだったんだろうなと思うよ。
材料も多くないし、生地もそんなに作るのは難しい感じじゃないから、師も一度チャレンジしてみてはどう?
なお、食に関しては一生懸命色々なものを作ってくれたおかんやばあちゃんに感謝してもしきれないよ。でも、当時は俺も全然食に興味なかったんだよなあ。偏食でもあったし。
アジア旅行の時もさほど食に興味なくて、もったいないことしたなあって思うくらい。今行ったらもっと色んなもの食べるだろうな。
師が言う通り小さい頃から食文化を知るのはとても大切だと俺も思う。大人になって自活してからの食生活に大きく影響を与えるだろうから。
手間はかかるね。だから、結構な高いのか。でも是非チャレンジしたいね。師のように、いつか子どもらに感謝される日が来るかな。まぁそんな打算ではなく、手間がかかる料理の偉大さを感じたいね。ボルシチもストロガノフも結構手間暇かかるんだよね。ロシア料理。
バックパッカーの目的はとにかくケチケチだから。いろんな料理を食べてたら、早く帰国しなきゃならなくなったし。仕方ないよ。
かみさんから、タイで「ガパオをよく食べたか」と聞かれたけど、食べた記憶がないんだよね。カオサンの裏側のぶっかけ屋で、名前もよく分からないものを指差すだけだったからね。
自分は60歳くらいになったら、バックパッカーの続きをする計画だよ。今度こそデリーからロンドンだなと思っているけど、世の中平和になっているかな。爺さんになっているから、体力的にもきついし。
途中で死んだら、「迎えに来て」って娘に言ったら「ヤダ」って言われたなぁ。
今の子たち、ソ連知ってるのかな。授業で習うのかな。2、3日前、ロシアの地図見てたら、北極海からアジア側にかけてサハ共和国っていう国を見つけたんだけど、そんな国初めて知って驚いたよ。国土は日本の8倍だけど、人が全然いないみたいな。多分、一生行くことないんだろうけど。
ただ、親父が生まれた樺太は行かなきゃって思うんだよ。旅の最後はロンドンではなくユジノサハリンスクだったりしてね。