ちょっと前に名古屋出張の事を書いた。
三重と岐阜の取材が、両方ともドタキャンになったのだ。岐阜はまだ仕方ないが、三重の件は憤りがあった。
取材の了承を得たにも関わらず、詳細なスケジュールを送って以降、連絡がなく、仕方ないに三重に向かう新幹線の車中で、連絡をしたところ、「そんな取材は受けていない」となった。
こんなことは初めてだった。
この憤りを忘れようとしていた頃、驚くことに、この会社の社長から電話が来た。
謝罪の連絡だった。
これも初めてのことだった。大抵の場合、謝罪の連絡などないのである。
連絡は謝罪と改めて取材日程の調整だった。
ということで、三重に行くことになった。ついでに前回の岐阜取材も改めてお願いしたところ、OKとなり、三重岐阜行きが決まった。
前回は泊りのスケジュールだったが、今回は日帰りである。
取材先である四日市市の山城というところは何にもないところだった。
12時過ぎに取材が終わり、駅に戻ってみると、上り電車は今行ったばかり。その次の電車はといえば、驚くことに1時間20分も待たなければならない。
岐阜の取材は16時からだったから、時間は問題ないのだが、このインターバルはもったいない。
では、その間に昼飯でも食べようかと思うのだが、駅前に店がないのである。本当に1軒もない。
昔、勝沼ぶどう郷という駅に降り立ったことがあるが、その駅も駅前に何もなく、駅にあった「セブンティーンアイス」を昼飯にしたことがある。だが、その山城という駅はもっと凄かった。飲料の自販機しかない。ちょっと近隣を散策しようと歩いてみた。
10分歩くと、店が見えた。
のぼりの様子から判断するとカラオケ喫茶である。
何か食べ物くらいあるだろうと近づいてみると、店内からがんがん、演歌を熱唱する歌声が聞こえてきた。
こりゃ、無理だなと諦めて駅へ戻った。
さぁ困った。何をして時間を潰すか。
さっきのカラオケ喫茶のある方向と逆方向に歩いてみると神社があった。
かなり立派な神社である。
櫻神社というらしい。
鳥居の向こう側は急な階段がそびえている。
どれ、ちょっと行ってみようかしら。
と階段を昇る際、何気に敷地の隅っこをみると、碑が建っている。
「忠勇義烈之碑」。
石碑の裏側には行けないつくりになっており、碑文を見ることができない。ただ、このような碑銘はおおよそ日露戦争で命を落とした地元の勇士の霊を慰めるものである。この小さな町にも戦場に駆り出され、落命したものがいる。
これ以上は何もいうまい。
その忠勇の義を全うした勇士らは、結界の中でその勇猛な働きを讃えられている。
近くの四日市市もそこそこ大きい町ですし、アルファード・ヴェルファイアみたいな高級車を作って各地に出荷してるトヨタ車体の工場もまあまあ近くにありますし、「采女」とか万葉集の香りのする地名もたくさんあるところなのに(たしか壬申の乱のときにのちの天武天皇夫妻があのあたりに一時立ち寄ったと思います)、駅前はそんなに寂れてるんですねぇ。
お写真の通り、国のために尽くされた方々もいらっしゃって、「日本各地にある、静かに日本を支えてきた土地の一つ」と言う感じでしょうか。
こんばんは。
山城と書いて、てっきり「やましろ」だと思っていました。帰り道のホームに平仮名なプレートがあって、「やまじょう」と読むのを知った次第です。
隣県ご出身のqootesさんもご存知ないというのは、かなりマイナーな町なんですね。
なんとなくなんですが、通り過ぎるだけではもったいない感じはありました。