三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
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7月上旬の出来事

2013-09-25 19:51:50 | 食日記
〈7月1日から7日までの食事写真と出来事〉
大きな写真は7月6日のもの

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7月2日の、日付が変わってあまり時間が経っていない頃、祖母が亡くなりました。
実年齢は88歳ですが、享年だと数えで計算するので90歳になるのだとか。
晩年は色々と患っておりましたが、大往生といえるでしょう。

その知らせを受けたのは夜中の2時台。
寝ていたのにメールの着信に気づけたのは、虫の知らせだったのか、それとも単に携帯が震えたのを察知したのか。
いずれにせよ、そこから先は眠れなくなったのでした。
驚きで、茫然自失となっていたというのが、その時の心境。

正直なところ、当初は悲しさなんかよりも、申し訳なさの方が強かったのです。
何に対してか。
その後の通夜と葬儀とで、仕事を何日か空けなくてはいけなくなること。
かといってすぐには宇都宮には駆けつけられず、喪主である母を、
妹とともに支えられないこと。
そして、そんな風に思っていることに、祖母に対して本当に申し訳ない。

最低限のノルマを果たし、知らせの翌日の夜遅くにようやく宇都宮へ。
祖母との対面を果たす。

そして明けて、お通夜当日。
何よりも弔う気持ちが大きくなって、ようやく悲しい気持ちが訪れたのは、納棺の時でした。
7人いる祖母のきょうだいが、祖母を労う言葉とともに花を置いたのです。
「よく働いてきた手だねえ」
そう言って、祖母の指先に触れる。

納棺の際には燃え残らないもの、という条件で、花以外のものも入れることができます。
母が入れていたものは、祖母が愛用さしていた針道具でした。
木製でL字になっていて、地面に対して垂直になっている方の棒からは紐とクリップが伸びていて、そこに布を挟み、繕い物をする…という道具、その木製の部分。

そんな光景を見ながら、胸が詰まってきました。
祖母に作ってもらった掛け布団なんかのことが不意に思い出されました。

思えば、私とは折り合いの悪い、憎ったらしい婆さんでした。
明るくなく憎まれ口はよく叩く、皮肉屋で、(認めたくないけど私にもそんな性質が立派に受け継がれています)、可愛いげのない婆さんでした。
けれど、それでも彼女なりに孫たちに愛情を表した形が、あの布団だったのではないか。
心をあらわすのが不器用だったのではないか。

祖母のきょうだい達にしても、元気過ぎて過干渉気味で、正直なところ、申し訳ないけど五月蝿い…と思っていたのですが、彼らを繋ぐ絆のようなものが感じられ、見方が変わったのです。
「よく働いてきた手だねえ」
ほんとに祖母はよく働いていて、それを一番分かっていたのがきょうだい達だったのでしょう。

…とつらつらと書いてみましたが、これは食に関することを書くブログでした。
この期間の食はといえば、やはりお清めの席で出るもの。

特筆すべきことと言えば、死者に供えるためのご飯を炊いた飯炊き器で、一週間はご飯を炊いてはいけない…という風習のことでしょうか。
これは地域性のあるものなのでしょうか?
ともあれ、慌ただしいくて買い物もままならないし、その間の食事よどうする…というわけで活躍したのが、冷凍のうどんやパックのご飯。
そして、庭先の小さな畑で実った、趣味でやる家庭菜園の領域を超えた夏野菜。
ビバ、元農家。

こんな感じで日々は過ぎて行き、宇都宮から職場に直行して仕事をしたのも、遠い日のように感じます。
って、実際のところこの日記を放置しすぎて、すっかり2ヶ月以上も前の話になっていたのでした。
(これからは放置しすぎないよう気を付けよう)
(あっ、そんな訳で来年は新年のご挨拶をしない手筈ですので、どうかひとつ)

こんな、7月上旬でございました。












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