三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

「調味料を使うのがおもしろくなる本」は本当におもしろくなる本だった

2011-10-27 09:34:19 | 食とレビュー
〈10月17日の食事〉
朝:トーストのスモークサーモンとカッテージチーズのせ フルーツグラノーラ+豆乳 コーヒー
昼:お弁当(玄米ご飯、鶏と野菜の酢豚風、ネギ入り卵焼き、キノコのくたくた煮)
夜:トマトとエビのカレー ナン チャイ @スルターン・飯田橋

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大阪に住む彼女から本の入った小包が届いたのは、今月中旬のこと。
なんでも、読み終わってすぐに、私に同じものを贈ろうと思ってくださったという。
嬉しい申し出に胸を高鳴らせて封を開ければ、そのタイトルは「調味料を使うのがおもしろくなる本」。

思わず顔がにやけてしまった。
どうしよう、これは確実に私が面白く思う本だ。
実際にお会いしたことがないというのに…彼女、分かってらっしゃる。

本の内容はといえば、タイトルずばり、である。
ありとあらゆる調味料が章仕立てで紹介されており、コラムとしてその調味料のおすすめの使い方や意外な使い方も編まれているといった按配だ。
紹介された調味料は「基本のさしすせそ」から、ワインビネガーやナンプラーといった近頃お馴染みになってきた異国モノ、まだまだ私にとっては敷居の高いハーブ類まで、本当に多岐に渡る。

読んでいて感じたのは、著者の青木敦子さんは、本当に料理を更に美味しくする工夫が好きなんだろうなということだ。
コンビニやスーパーの出来合いの惣菜や、レトルト食品も、調味料ひとさじで劇的に変化すること。
それに、「チョリソにメープルシロップ」だとか、「キュウリの浅漬け+砂糖+ラム酒」なんて、普通浮かんでこないよ。
こういったベストマッチを探り当てるまでに、色々試行錯誤があったんだろうな、と思うとただひたすら感服するまでだ。
読んでいて目から鱗な使い方も多々で、これなら持て余した調味料もちゃんと使いきりそうだ。

そして、料理や食事をとても愛しているのだな、ということ。
出来上がった料理に対する美味しさの表現が色鮮やかで、感激の度合いが伝わり、作ってみたい!という気にさせられるのだ。
本の内容と同時に、この人の言うこと、に魅せられた格好だ。

紹介されていた内容で早速試してみたのは、味噌汁に少しだけ豆板醤を加えるレシピ。
少しの辛味が鍋物=食事寄りの味になり、とても美味しい!
体も温まるし、これはいい。
また、黒酢も早速買ってきて、毎日黒酢ハチミツドリンクを作って飲むこの頃だ。

これは本当にいい本だなあ。
実をいうと本にずっと浸っていたくて読み切るのが勿体なくて、一気に読み切らないよう工夫が必要だったほど。
改めて彼女には感謝。
ありがとうございます!
カバーともども大切にします。

「サラメシ」を観たのだ

2011-10-19 21:39:29 | 食とレビュー
<10月10日の食事>
朝:-
昼:肉うどん
夜:白米 サンマ 白菜のおかか和え ニラと卵の味噌汁 緑茶

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こういうブログを書き、その更新の知らせをツィッターと連動させている事もあり、どうやら私は食にまつわるはなしが好きだと、皆さんに認識してもらっているらしい。
友人からの誕生日プレゼントには調理道具や各地の調味料などをもらい、ツイッターでは食関連の耳より情報を教えてもらえる。
ありがたいことである。

ある日、ツイッターで相互フォローしてもらっている方から、「サラメシ」というNHKのテレビ番組の事を教えてもらった。
ホームページを見てみればなるほど私好みで、レギュラー番組は終わってしまったが、近々スペシャル番組が放送されるという。
おお、観てみます!

気になっていたタイトルは「サラリーマンの昼メシ」から来ているらしい。
「『働く大人の昼ご飯』、それが『サラメシ』」なのだとか。

街をよく知るタクシードライバーが薦めるお店のランチ。
色んな人のお弁当を撮り集めているカメラマンが切り取る昼食風景。
軽やかに場面は進んでいく。
そこに映し出されるのは、まぎれもないその人らしさだ。

「働く大人」の昼は、どうしようが何に使おうが基本的にその人の自由なのである。
だからどこで何を食べようがどういう風にお金を使おうが自由で、たとえ「昼食は社内で」という決まり事があったとしても、お弁当を持って来ようが出勤途中でテイクアウトしようがその人の勝手なのである。
同じ「タクシードライバーの昼食」にしても、停めた車内で手弁当を食べる人からは「お昼はさっさと腹に溜まるもので済ませたい」という感情が伺えるし、眺めがいいレストランで食べる人からは、お昼休みに気晴らしをしたいという気持ちが伺える。

人には違いがあるもので、その違いこそが人間の面白さだ。
わかった、だから私は食文化を面白く思うのだ。

ああ面白かった。
教えてくださった大分の彼女には多謝!
とともに、妹にも感謝。
というのも、私はテレビを持っておらず、妹に録画をお願いしたのだ。
放送のすぐ後に会う用事があってよかった。
とはいえ、こんな面白い番組だってあるのだから、テレビの導入を真剣に考えるべきではないか、とそろそろ悩み始めている。

「食べもの屋の昭和」を読んだ

2011-10-15 11:38:34 | 食とレビュー
〈10月7日の食事〉
朝:カボチャのマッシュサンド(ブラウニーのプレーンベーグル使用) パン・オ・ヴァン(シニファンシニフィエで購入) コーヒー
昼:お弁当(玄米ご飯、ネギ入り卵焼き、ウィンナー、パプリカとエリンギのチーズ焼き、ほうれん草のごま和え)
夜:玄米クリームブラン・塩バニラ 野菜ジュース

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「食べもの屋の昭和」という本を読んだ。
岩崎信也さん著。
老舗と呼ばれるような色んな食ジャンルの名店にスポットを当て、当代の店主にお店の歴史やこだわりを尋ねたルポ本だ。

絶好の食材を得るための奔走や、こだわりの作り方。
たとえば焼き鳥屋の店主が話す「刺し置きしておくと鶏のあぶらが浮いて美味しくなくなるから、お客が来店してから切って刺して焼く」といった知識に、そうなのか!と感心しきりだったのだが。
一番骨身に染みて思ったのが、「人のからだに伝統の味だけじゃなく、かつての記憶というのが宿っているのだなあ、それが歴史ということなんだなあ」ということだ。

この本の取材は約20年前。
話を訊いたのは当時六十代・七十代だった店主が多いから、とすればご存命ならば、現在八十代・九十代。
身近にいる一番の年輩者である祖父母と同年代かそれ以上の方の話す、店を継いだり始業したりした当時の話といったら。

戦前の握り寿司は、今の倍~三倍くらいの大きさがあったらしいですよ。
で、戦後の委託加工の時代に「一合の米で10個握って加工費が40円」という決まりが出来て、それが尾をひいて寿司が小ぶりになったのだとか。
(と考えると寿司を10個食べたらご飯を一合も食べたってことになるので、そりゃあ寿司ってヘルシーだけど痩せないメニューだよなあ)
あるいは、昭和のはじめ頃のニューグランドホテルのボーイの服は、ハッピに股引・地下足袋という出で立ちだったんだそうな。
こんな思い出話がバンバン出てくるのだ。
興味深いことこの上ない。

歴史を変えたような出来事じゃないから大々的に語られはしないけど、実はとても面白い過去の話など、いくらでもあると思うのだ。
彼らはまさに歴史の生き証人で、お年寄りのことを「生き字引」というのは、なかなか上手い表現ではなかろうか。
ふと、この夏に自分の街の商店街で扇風機を買ったとき、「昔は東京も『府』だったのよ」などとお店のおばあさんに教えてもらったのを思い出した。

さて、こう綴ってきたものの、紹介されたお店たちには一度も行ったことがないではないか、と気付いたのだ。
伝承され今も息づく味に、そのうち会いに行きたいなと思う。

コクリコ坂から、風にのって

2011-09-28 22:03:20 | 食とレビュー
〈9月18日の食事〉
朝:ピザトースト フルーツグラノーラ+ヨーグルト コーヒー
昼:4種のデリ+五穀米ご飯(さんまのおかず、鶏肉の冷製のおかず、ナスカレー、カボチャとさつまいものサラダ) @Meal&Cafe MUJI 青山店
間食:映画館でラテとポップコーン
夜:バーニャカウダ チキン&チップス サッポロビール @SHINO・大岡山

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待望の、無印カフェで選べるデリご飯。
舌にも身体にも美味しい味、ご馳走様でした!

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「コクリコ坂から」を観てきた。
未見の方のためにも内容を詳しくは書かないが、ホロリとさせられる、いい映画だった。
特に、喪失の記憶のある人にはぐっと来る話だったと思う。

さて、話の本筋とは関係ないところで目に留まったのは、台所道具の数々である。
主人公の女子高生は、炊事担当として下宿を切り盛りしているといった役どころ。
そんな彼女の使う道具の一つ一つが、スローライフを提唱する雑誌に載るような、本格的なものばかりだったんである。

だがしかし、特に素敵な生活とやらを狙ってそうしている訳ではなく。
物語の舞台となった昭和30年代は、単純にそういう道具が活躍していた時代だったのだ。
便利を追及した結果、道具からは見た目にも使うさまにも野暮さは堆積するばかりで、手間隙かかってもちゃんとした道具を使いたい…といった願望は、素敵な生活を夢見ているようにみえて、原点回帰だったのか。
「一周して、キてる」って、これか。
目から鱗の思いである。

その他劇中には、昭和50年代生まれの私にもギリギリ記憶があるような、今は見ない懐かしいものが溢れていた。
蝿とり紙とか、駅員さんが切符を切ってくれる改札だとか。
蝿とり紙、子どもの頃は食卓の天井からぶら下がっていたなあ。
取り替えるのを不精していると、粘着部分が飽和を迎えて、取れた蝿が落ちてくるんだよね(汚い話ですみません)。
いつの間にかそうそう蝿を見なくなり、これまたいつの間にか天井からは蝿とり紙は消えたのであった。

懐古的な作品にぐっとくるようになったのは、三十路を超えたという証拠なのだろうな。
ツイッターで90年代の曲の映像がリンクされると、好きな曲でもそうでもなくても飛び付いちゃうもんな。
この先、次は何に鼻がツンとくるのか。
楽しみなような、恐ろしいような。

彼女のこんだて帖を読んだ

2011-09-26 10:40:20 | 食とレビュー
〈9月15日の食事〉
朝:ピザトースト フルーツグラノーラ+ヨーグルト コーヒー
昼:パスタランチAセット(キャベツとパンチェッタのトマトクリームパスタ、サラダ、コーヒー) @bimbumbam PRIMO 飯田橋ラムラ店
夜:メカジキのカレー ナン チャイ @スルターン・飯田橋

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相変わらず、食にまつわる本を読む頻度が高い。
この日は角田光代さんの「彼女のこんだて帖」を読んだ。

テーマが「食」の短編小説集。
リレー形式になっていて、一作目の主人公が二作目ではサブキャラになっていて…と、一つ一つの話は独立しているものの、どこかで連鎖しているのが特徴だ。

この作品が、しみじみと好きだ、と思う。

食が人と人との関係を緩やかにする。
人と人との関係を修復さえする。
自分の気持ちをぶれないように正す。

現実ではそんなに上手くいかないかもしれない。
短編集である分余計に、手短に解決したなあ感があるのは否めない。
が、一方で、案外世の中もそんな風にシンプルに出来ているのかもしれないと思う。
さして特別なものがない自分の人生だって、振り返れば、何らかの思い出が刻まれて忘れられない味となった献立なんて結構あるのだ。
なんてことない一品でも。

リレー形式をとった今作は、最後の話に一話目の主人公が出てきて終わる。
悲しみの底にいた彼女が、新しい一歩を踏み出したのだと分かる。
目頭が熱くなった。

読後感の似た漫画『女の子の食卓』ともども、大切にしたい一冊となった。

私と花のズボラ飯

2011-09-06 22:21:05 | 食とレビュー
〈8月29日の食事〉
朝:ツナと野菜のサンドイッチ(シニファン・シニフィエのパン使用) フルーツグラノーラ+ヨーグルト コーヒー
昼:お弁当(玄米ご飯、鮭とパプリカの塩麹焼き、ピーマンをどうにかしたもの、卵料理?)
夜:レトルトグリーンカレー しめじ増し+玄米ご飯

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なんでもない日の一週間前の食事の記憶が危ういほどおぼろだ。
自分で作ったものに対して、「卵料理?」って。

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さて、マンガ「花のズボラ飯」を読んだのだ。
主人公は夫が単身赴任中なため、東京で一人暮らしを送る主婦の花30歳、仕事は本屋でのアルバイト。
そんな彼女が食べるズボラな食事と、ぐうたらした日々、といった作品だ。

これがまあ、面白いんだけど、何とも尻の辺りがむず痒くなるのである。
原因は探るまでもなく。
花のだめさ加減に、深くシンパシーを覚えるからである!

いやあ、片付けやら掃除やらは、溜め込む前にやりますよ。
けれど、花の食卓に散らかったものが、ドラッグストアからなんかのDMだったり、投げ込みチラシだったりに対して、ああ分かる分かる。
チラシはすぐ捨てるけど、意外とDMって厄介なんだよね。
片付けたふりしているけど、本当のところは適当なバッグに突っ込んだだけなので、ダメさ加減はどっこいどっこい。

ええと、その場に誰もいないからって、一人言は言いませんし、「この味…たまらん坂!」といったダジャレも言いません。
が、実際に口に出さないだけで、頭の中は饒舌なのだから一緒だ!
ダジャレ問題だって、「水蒸気 噴くまで待とう ホトトギス」くらいの事は、ええ頭に浮かんじゃってますよ(炊飯時)。

極めつけは、食欲に火が吹いてしまって、「私今なら豚って呼ばれてもいい!」とばかりにガツガツ食べて、お腹が満ちて冷静になった時に押し寄せる、緩い後悔のシーンだろうか。
ああ、あるある…。
「いいっ!美味いからいいの!私、今、飽食ジャパン!」とばかりに食べて、後で悲しくなること、結構あるよね…。

シンクロする花と私だが、決定的に違っていて、見習いところが一つ。
ぐうたらやズボラは、最愛の夫・ゴロさんがいない時に限られているところ。

それは、「花のズボラ飯」というタイトルに顕著で、名前は頻繁に上がるにも関わらず、ゴロさんが一回も登場しないのだから明らかだ(単身赴任先から帰った日も、事前と事後にそれが分かる記述があるのみである)。
ゴロさんがいたら、花の「ズボラ飯」が成立しなくなってしまうのだ。

対する私はといえば、同居人を前にしても、まあ、食欲は変わらずありますし、飲みに行った帰りにチロルチョコなんて買って、呆れられることしばしですね。
こんな発表をするのもナンですが、同居人がいようがいまいが、出かけるまではノーブラパジャマで日々の家事してますしね。
洗濯物は散らかさないけど、それって家事は分担制で、洗濯はそもそもが担当外なのであった(全くしないわけではないけど)。

つまりは、共感しつつも、頭が上がらないや、ってのが花という人なんである。
「ズボラ」つったって、そうめんにゃちゃんとミョウガを添えるし、何かとちょいとした一工夫するのだから、えらいのだ、この人。

せめて小綺麗な格好で家事をするべか、と反省に次ぐ反省。

醸すぞ!って作品ならではのいい台詞

2011-05-06 23:03:40 | 食とレビュー
〈4月29日の食事〉
朝:ホットドッグ スープセット @モスバーガー 飯田橋店
昼:フルーツグラノーラ+豆乳
夜:アンチョビオリーブとカッテージチーズのサンドイッチ(デュヌ・ラルテのホノカ使用) ショコラベーグル エチゴビール・ヴァイツェン スワンレイクビール キャベツの行者にんにく味噌づけ

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この日よりゴールデンウィーク休暇。
怒涛の10連休の前に、せねばならん仕事を終えたら朝6時というていらく。
ああ、朝日が眩しい。

実は、終電は逃すだろうけど、始発までは大分空くような、例えば夜中の2時3時に終わるのでは、と踏んでいたのだ。
ならば、始発を待つまでの時間に、漫画喫茶に行って漫画を読んで過ごそうと思いながら作業をしていたのだ。
実際に放り投げられた朝6時はとうに電車は動いていたけど、漫画を読んで帰りたい欲は止まなくて。
そして、すっかり落ちた血糖値を朝モスで上げながら、漫画喫茶へと赴いた訳である。

手に取ったのは「もやしもん」。
ずいぶん前に当時通っていた美容院の美容師に勧められたまま、何となく手が伸びなかった作品だ。
そういう作品こそ、気軽に試し読みできる漫画喫茶っていいよなあ、確かこれ菌を題材にした漫画だと言ってたっけ、とページを捲ってはっとした。
菌は菌でも、発酵にまつわる話が沢山描かれているではないか。

考えれば、このブログを始めて以来、発酵のもたらす食べ物に夢中の日々なのである。
まず、酒もパンも大好きですし。
チーズもヨーグルトも大切ですし。
味噌やキムチの、調味料としても食材としても有能な力を発揮する様にも魅せられているし、そもそもここ数日に夢中の塩麹に至っては、製造過程においても発酵の力を思い知らされたではないか。
そうか、これはいわゆるグルメ漫画ではないけど、こういう形で「食」に切り込んだ、画期的な作品であったか。

むろん描かれているのはそれだけではないし、舞台となっている農大ならではのあれやこれやも面白い。
けれど、とにかく菌にまつわる話が面白かった。
なるほど、これは人に勧めたくなるだろう。
料理が好きな人なら尚更。
件の美容師もまた、料理好きな人なのであった。

と褒めちぎったが、時間を気にして結構飛ばし読みしたのもまた事実。
3時間パックで4巻まで捲ったが、どこまで知識として染み付いているのやら。
次回はもう少しゆっくりとできる環境で読もう。

甘味と、願いを

2011-04-23 01:07:02 | 食とレビュー
<4月14日の食事>
朝:フルーツグラノーラ+ヨーグルト コーヒー
昼:菜の花とサーモンのキッシュ ニース風サラダ(以上2点、DEAN&DELUCAで購入)無調製豆乳
夜:お弁当(玄米ご飯、豚の塩麹漬け焼き、キンピラゴボウ、ブロッコリーのカッテージチーズ和え、したらばサラダ)

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読んだ、といえば、先月のはじめ頃、酒井順子さんの「甘党ぶらぶら地図」を読んだのだった。

47都道府県を甘味を求めて巡った紀行文である。
酒井さんのエッセイは普段からよく読むが、やわらかな文体の中にも鋭い洞察力が伺える通常のものと比べて、好きなものを愛でる視線に満ちた紀行文は、文章の美しさがよく分かりやすいなと思う。

さて、その紀行。
各地の伝統的なお菓子縛りで巡っているため、和菓子を中心に食べておられる。
どちらかといえば間違いなく洋菓子の方が好きな私でも生唾が溜まって仕方なかったのだから、和菓子好きにはさもありなんというところだろう。

尚、我が栃木県にて酒井さんが召し上がったのは、「冬に食べる」日光の水羊羹。
練り羊羹に比べて日持ちしない水羊羹だから、傷みにくい冬に作られたのが始まりらしい。
水羊羹が名物なのも、そのいわれも、恥ずかしながら存じませんでした…。
そういった、地元の者でも知らないような隠れた名品って、沢山あるんだろうなあ。

このエッセイが最初に掲載されたのが2001年、単行本として刊行されたのが2007年で、文庫本が出たのが去年の7月。
事実を伝えるエッセイにはつきものの、仕方ない話ではあるが、その間にも変化は起きる。
甘味の作り手がご高齢で、掲載後にお店をしまわれたり、亡くなられたり。
名人の息遣いが伝わるような生き生きした文章だからこそ、その悲しみや儚さが余計に感じられる。
描かれた世界を、刹那なものとして、とても愛しく思える。

そして3月に、世界は変わったのであった。
初めて読んだ時には、読み方が変わるなんて思わなかった。

酒井さんが東北新幹線で出会った、東京に進学が決まった高校生。
彼は今ごろ、二十代半ばかそれ以降といったところだろうか。
地元への愛情が強い青年だったけど、東京の大学を出た後、そのまま東京で仕事を見つけたのかな。
それともやっぱり帰ったのかな。

私にとっては見た目も声も名前も知らない青年な訳だが、酒井さんの文章に彩られ、とても身近に感じてしまったのである。
どうか悲しみに押しつぶされていませんように。
そんな事を願ってやまない2011年4月の夜である。

「おとなの味」を知る

2011-04-19 22:01:47 | 食とレビュー
〈4月11日の食事〉
朝:フルーツグラノーラ+りんご+ヨーグルト
昼:鶏とレンコンのサンドイッチ(Bio Cafeのけしの実バケットを使用) キャベツに行者にんにく味噌 豆乳
夜:カレーライス ブルーベリーヨーグルト ミルージュ

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これを書いている本日(4月19日)、平松洋子さんのエッセイ「おとなの味」を読み終えた。

綴られた味や匂いが浮かび上がるような、視覚的な文章。
漢字とひらがなの使い分けのリズムがとても綺麗。
初めて味わう平松さんの文体は、自分にとってとても心地よい。

少しずつ一気に読んでしまうのが惜しくて、鞄に入れ、電車移動時に少しずつ。
それこそ滅多に味わえない好物をちびちびと何日かに分けて食べるように、読了までかれこれ3週間は要したのではないだろうか。
とても、おいしいエッセイであった。

感銘を受けたからここに書くのに、本の内容を少しでも紹介したら営業妨害にならないかと危ぶみつつも、特に印象に残ったはなしを書きたい。
それは、水のはなし。

日本の水質は基本的に硬度の低い軟水だが、細かく見れば、比較的東日本の水は硬度が高く、西日本の水は硬度が低い。
その分、東日本の水で米を炊けばパラリとし、西日本の水で炊けば水分の多い、もっちりとした感じになるという。
米の炊きあがりを生かした結果、江戸では握り寿司文化が生まれ、上方では押し寿司文化が生まれたという。

また、硬度が高いことで知られるヨーロッパの水は煮込みに適しているため、シチューなどの食文化があるのだという。
イタリアの味を再現するため、コストが高くなっても硬水を使ってパスタを茹でる職人のはなしも紹介されていた。

水は調味料である、と結論づけた文章に感銘を覚え、同時にへええ、と膝を打った。
水には硬水/軟水という区分があるのは知っていたが、そこまで味を左右されるものとは。
調理のみならず、育つ過程においても左右するのは自明の理で。
作物の芽生えから口に入るまで、そこにはどうしてこの味になったのかという理由があるのだとわかる。
「地産地消」ってエコ用語のように思われているが(※近場で採れたものを食すことは、運送にエネルギーを使わないという意味でエコだと言われている)、新鮮なものを「理由」込みで食す行為なのだと気付かされた。

まあ元々食に対してどん欲であり、してこういう業態のブログを書いているわけだが、食の背景を思えば、益々食べ物が愛おしい。
「おとなの味」の余韻を味わいたくて、最後まで読んだ本を、また捲って字を追っている。

すきなもの暮らし

2011-03-10 00:02:01 | 食とレビュー
〈3月1日の食事〉
朝:フルーツグラノーラ+バナナ+ヨーグルト 野菜のコンソメ蒸し
昼:お弁当(玄米ご飯、ニンジンしりしり、野菜炒め、ブロッコリーのカッテージチーズ和え)
夜:アルミの鍋焼うどんに肉と野菜追加 チーズケーキヨーグルト

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大田垣晴子さんの『うちのもの暮らし』を読んだ。

好きなもの、お気に入りのものについてのあれやこれや。
とあるものをアレンジして、こう使っているといったアイディア。
そういったものが、可愛いイラストと手書きの文字で綴られたイラスト・エッセイである。

どれもこれも楽しく拝読したのだけれど、特に目を惹いたのは、食にまつわるいくつかであった。
私がそれに興味を持っているせいもあるだろうが、何冊か食中心の本も描いておられるから、大田垣さん自身も食への関心が強いのだろう。
更に生き生きと描かれているように感じた。

中でも食器にまつわるパートは珠玉だった。
とてもとても素敵で、つまりは私好みで、こんな暮らし、してぇ~!と悶えたほど。
やはり、好きな食器が傍らにある暮らしは、美しいと思うのである。

省スペースを考えて、食器も調理道具も、数を増やさない努力をしている昨今。
引っ越したら、こういう暮らしをするんだ!と、士気を高めて拳を握り締めた次第。