昨日は女房は友人と映画を見に行くというので一人でノンビリと留守番、それが一転して大地震に遭遇することになって。今にも家具が転倒するかと、室内の各所に目配りして危険なものがないかとハラハラする時間があまりにも長くて、こんな大きな地震は初めての凄さ、日本に住んだら一生に一度はこういう経験が避けられないんだろうけれど、それにしてもマグニチュード8.8というのにはビックリした。僕が学生時代は理論上は8.4が最大と聞いた記憶があるが、チリ地震で9以上というのがあって地盤の強さとの関連だから日本はそこまではと思っていたからね。
そんな大きな地震のあった翌朝はニュースで三陸方面の津波被害の大きさも報道されて、各地の友人からどうですかという心配のメールをもらって、返事した内容が以下のもの。
御心配ありがとうございます。まずは我家は幸いに目についた被害はありませんでした。
私はその時まさに横浜の自宅に居ましたが、今までにない揺れを体験しました。
最初の初期微動が微かなのにあまりにも長いのでこれは大地震かもと、それでやや遠い震源でもこのあとかなり揺れるかと思っていたらグラグラと。
時間は測っていなかったので正確ではありませんが2分以上は続いて、これも今までにない長さに家具が倒れないのが不思議なほど。
立て掛けた写真立てが数個カタンと横になったぐらいで済んだのは、直下型みたいに短周期じゃなくて、我家の鉄筋コンクリートには震源遠かった分やや長めの周期で入力が少なかったのかもしれません。
女房はちょうど外出から帰ってきて玄関前直前に大揺れにあったとかで、鍵穴になかなかキーが入らなかったそうです。悲鳴をあげながら戻ってきました。
地震中に停電となり以後は全く回復する気配がなくて、町中もここは塾など学生が多いので道路に出ている人が各所に、駅は運休となって改札口に人が溢れ、タクシー待ちの長い行列ができて、道路は信号も消えサイレンを流す消防車や救急車が行きかっていました。
暗くなっても回復せず、ラジオを聴きながら懐中電灯で軽い食事をしただけで、余震は心配だったのですが早々と寝てしまいました。
今朝のニュースで三陸方面の被害甚大を報道していますが、一昨年の秋に縦断旅行した場所で各地のチリ地震の水位を示す標識も見知っていたし、各地の風景の記憶が残っていて、50年後に又もというような被害には驚くばかり。
昨夜はずっと停電でラジオニュースだけではそんなに大きな被害を報道していなかったのに、一夜明ければやはり日本は耐震技術が進んでいたといっても過去最大の巨大地震には勝てないということですね。
ちょうど昨日は長女がフランスから一時帰国で帰ってくるはずでしたが、地震直後で成田には降りられず名古屋セントレア空港に降りたそうです。
今日は東海道新幹線は動くようですから、多少は安心していますが。(彼女は朝一番の新幹線に乗ったということで8時半に帰ってきました、世界中を飛び回っているから女ながらに逞しいものだと)
この地震では永田町も政争は棚上げして、逆にいいほうにまとまれという天の声をも聞いてもらいたい。大きな犠牲を伴った天誅と肝に銘じて今後の対応をしないと、本当に見捨てられるのはあなた達ですよと声をあげないといけないですね。
一夜明けて、二日間食料品などの買物に行かなかったからと土曜日の10時過ぎにスーパーに出かけたら、大勢の買物客がつめかけていて、皆さん買い物籠二つぐらいを一杯にしてレジは大変な行列、やはりこういうことがあると買いダメ心理が働くらしい。でも被害が少なかったらしい首都圏でそんなに買っても無駄にならないかと、被災地のことを考えたらもっと慎ましくしないとねぇ。