世にこけし収集家はかなりおられるようですが、うちには自慢できるのは一つだけ、肘折こけしの名工の作品は確かに顔立ちの描き方が上手ではある。
右側のこの肘折こけしも温海温泉朝市の骨董屋で、これいいものだから持っていきなといわれ買ったもの、その時一緒に付いていた作者奥山喜代治の死亡記事、昭和47年の新聞切抜は今も残してある。
ちなみに左側のこけしはおまけとして一緒にもらった中ノ沢こけしで、ここのは面白い顔立ちに描いていますねぇ。
山形最北部の赤倉温泉に泊まった時、風呂で一緒になった同宿の爺さんは昔から東北地方のこけしを求めての旅を続けていて、こけしを見ればどこのものかなど分かるというのに感心したものだが、我家には俗っぽい土産こけしは数本あるが、来歴が確かなものが一つだけとは寂しいかぎり、あまり興味がないこともあってのことかなぁ。こけしの歴史は案外浅くて江戸末期に木工職人が子供の玩具用に作ったのが始まりとか、こけしという呼び名も諸説あるようである。鳴子の日本こけし館でいくつかの系統別展示を見たり説明書を読んではいるものの、頭にほとんど入ってこなかったのは手元にあまり持っていないからでしょうね。少しは集めてもいいのだけれど、結構大きいものが多いし、立てて並べて置くとよく倒れるから扱いが困るんですよ。