ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

三陸海岸第二日目 その1 真崎海岸と浄土ヶ浜見物から一気に陸中南部に

2009-11-25 15:41:15 | 旅日記

 早朝の5時半に目がさめればもう雨は止んでいる、昨日の天気予報で内陸側は雪といっていたがこちらは雨だけだったようだ。まずは朝風呂と廊下に出たら、冒頭写真のように陸地側の遠くの山は雪で白く見え、その前景となる近くの小山には紅葉が残っていて実にいい眺めとなっていた。この日も半分は雨だと思っていたからこれはラッキーでした。風呂のあとは暫しゆっくりしてから7時からの朝食バイキングに行けば、昨日は宴会だけのグループ客の席との仕切りが取り払われて、本来の宴会場スペースとなった広間は円形テーブル席に変っていた。バイキングとなるとどうしても全種類をという誘惑に駆られ、ソーセージ以外は全て少しずつながらも欲張って、さらに主食もお粥と御飯の2杯を食べてしまったから腹一杯で、いつもながら反省しましょう。なかではとろろ芋があったことと、フランスのドーバーみたいな地形から牧畜も盛んらしく牛乳が美味しかったが、朝からイカの刺身にはさすが三陸海岸だねぇ。

 

       朝から二人でこんなに食べちゃった

 二日目はこういうツアーには珍しくゆっくりと9時に宿を出発、この日のコースはちょっとだけ北に戻って真崎海岸というところの見物にまず向う。昨日最後の鵜の巣断崖から少し南に続く場所で、ここでは灯台と展望台がある小高い頂上まで階段と坂道の周遊コースがあり、まずは階段側から頂上を目指したらこれがかなりの急階段で足が萎えたあとにさらに山道みたいな勾配が続いて息が上がってしまう。でもこの頂上からの眺めは晴天で見事なもの、赤松が多いのは昨日同様その合間から遠くまで続く断崖や岩礁が見渡せる、直下には小さな港がポツンとここにも生活があるんですね。帰りもこれまた急な坂道で滑ってころばないようにとソロソロ歩き、約1kmほどの道のりだったと思うんだけど大汗をかいてしまった。この海岸線から陸地に入る小さな沢筋には数軒の番屋が並んでいたが、この地域では海から奥まった方向に連なって建てられるのだそうだ。

    真崎海岸

 次はこのツアーで一番時間をとってあった浄土ヶ浜、ここの岩礁はこれまでの黒ずんだものから白っぽい岩肌に変っていて石英系だなとすぐ分かる。バス停から階段を降りて観光遊覧船乗場まではそんなにはこれまでと風景は変らないと感じたが、船で海側に出ると変化に富んだ岩礁が現れることになる。遊覧船はオプションであったが、船会社がウミネコの餌付けに成功したということは有名で、その餌は以前はカッパエビセンだったが今はパンを船内販売、皆さん争って買っていた。エンジンがかかれば音を聞きつけたウミネコやカモメが船の周りに群がってきて、上手に投げられたちぎりパンをキャッチ、さらに船の速度に合せて手に持つ餌に口を開けながら近づいてくるから皆さんキャーキャーと。湾内から出る頃には皆さんの餌は尽きてウミネコの群れも減り、今度は遊覧船のガイドのアナウンスでいろいろ名付けられた海岸岩礁地形の見物となる、いわゆる剣の山、潮吹き岩、天然記念物のローソク岩などなど。この日は晴れて空の青、海の紺碧、白い岩、松の緑と確かに名うての観光地ではある、やや波は静かだったけれど岩の隙間から潮が吹くのも見られたしね。下船後はトンネルを抜ける遊歩道を歩いて表浄土ヶ浜という陸側からの岩礁の眺めを見て、それらをバックに記念写真となる。その場所後方では新しいレストハウスを建設中で来年には出来上がっているでしょう。このあたりの狭い海岸線だけに波でもまれて扁平になった小石が敷かれた浜になっていたが、ここにだけ何処かから運んできてばらまいたかのよう、はて真実は?

 

    餌にウミネコの群が         餌のパン

 

    真中あたりにローソク岩      左側で潮を吹いている

    

     表浄土ヶ浜の風景と小さな扁平砂利海岸

 またも最初のバス停に戻って古いレストハウスで昼食、郷土料理さっぱめしと名付けられているもののウニ飯とホタテの入った味噌汁で地元産だと意識させているだけでごく普通の和食であった。まぁほかに食べる場所もないから仕方が無いということですな。バスに戻れば記念写真が出来ていて、半分上のグループが買っているが、我々はもちろん買いません。

    さっぱめし

 昨日から本日までが宮古以北の隆起地帯の断崖が主役の海岸線観光であった。このあとは人数が多くて分宿となった本日の宿がある陸前高田とさらにその先の気仙沼まで長躯のバス行程で、陸地沈降地帯の大きく入り組んだリアス海岸沿いを走ることになる。湾内ではカキ、ホタテ、ワカメ、コンブなどの養殖が盛んでブイや棚イカダが浮かぶのを見ながらの旅となる。

    リアス式海岸

    津軽石川

 南部鼻曲り鮭で有名な津軽石川という南部には似合わないとうか仲が悪いはずの津軽という名前が付く川沿いに陸地に入り、途中に吉里吉里という地名看板を見つけ井上ひさしの小説の舞台の地かと思ったが関係はないようで、さらに鮭の一本釣り場などという珍しいものも見つけながら走っていく。再び山田湾を望む高台に出てからもかなり走って釜石に、ここは新日鉄が撤退してしまった今どうなっているのだろうね、全日本何連覇かしたラクビー部が練習したグランドや工場跡地らしきが更地となりつつある広い敷地などを横に見ながらただ素通りしただけ。また暫く走れば大船渡市街を望む高台の道路を通過、ここ大船渡からは伊達藩の領地だったとかで今は岩手県ながら南部ではなかったということを初めて知った。ここの石灰岩の埋蔵量は日本最大でセメントの町でもあるんだそうだ。その市街をはずれたところにある道の駅さんりくという所でトイレタイム、この道の駅には鮮魚や農産物なども置いてあってなかなか地場産品が豊富、でもまだもう1日あるから買えないけれどね。

    大船渡市街

 ここを出てからはお天気雨という変な天気になったなか、そんなにはかからずに陸前高田市内のホテル キャッスル 1000という宿に午後3時半着、こういうツアーでは珍しく早い宿入り、ここはあの千昌夫が絶頂期に生まれ故郷に建てたホテルだそうで、今は人出に渡ってリニューアルされたということだ。このホテルの隣には道の駅があって、その道路側には千昌夫のふるさとという立ち看板がホテル側から見える、さらに反対側の面には村上弘明のふるさととあって笑っちゃうよね。こちらには25名が宿泊、かなり奇麗なシャレた感じのホテルで気仙沼組とどちらが良かったか、明日の笑顔はどちらかなと。気仙沼組はさらに30分ほど走って到着、この30分は明日の出発のハンデにもなるからその見返りはあるはずで、宿の風呂は海洋深層水を使っているとバスガイドが話していた。

 先客を降ろしてから気仙沼に向う道筋の大理石海岸付近で突然に、バスガイドの虹がという大きな声に皆で振り返れば、海から登ってずっと先の島影に沈む大きな半円がはっきりと見えるではないか。この虹はバスの進行方向にかなり長く続いて、特に海際などは幅が大きくはっきりと色分けされてこれまで僕が見たものでは一番見事、これだけでももうけものだったね。

    海から虹が


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