
柳川からは一般道で筑後川を超えて東背振ICで長崎自動車道に乗ることとなったが、そのIC手前には吉野ヶ里遺跡があって広い国立公園になっていて、発見当時はもしかしたら卑弥呼の都と話題になったがそうではないことが判明しているという、とにかく広いからツアーではなかなか組み込まれないらしくて、この旅でも復元された楼閣を車中から遠望するだけであった。
ほかには佐賀平野には朝鮮に多いというカササギが多く生息していて、以前は電柱の上によく巣を作っていたが、今では電力会社が営巣していない時期に処分しているのでほとんど見ることがなくなったという話は以前のツアーでも聞いたことがあったが、今回は一ヶ所だけであったが発見して、バスガイドさんもよく見つけましたねということであった。またバスから一羽だけ畑にいる背は黒く腹側が白いカラスに似た姿のカササギらしきを見つけたが、一瞬のことでカメラには捕えられなかった。
筑後川
鉄塔の左手の出っ張った踊り場に巣が
吉野ヶ里遺跡は遠望しただけ
高速は少しだけ走るだけであったが途中すぐの金立SAにトイレタイムで立寄ったので、九州地区の地図をもらって改めて今回のツアー行程を確認する。時間が無いから入っていかかったが建物のすぐ隣に徐福薬用植物園という看板があって、秦の始皇帝の命令で不老長寿の仙薬を求めて東海上の海に出たという徐福伝説の日本到着説の地がここというのですかね。それとこの辺りから唐津までの道筋は佐用姫伝説関わる土地で、地名にもその故事からというものが多いというバスガイドさんの案内がいくつか、高速からは道の駅巌木に佐用姫像があって、常時回転していてこちらからどういう向きで見えるか分からないけどご覧をとなって、ちょうどこちら向きになっていた像をパチリと、そのあと間もなくで多久ICで高速を降りてからも佐用姫伝説の話が続いて、よっぽどこの地では有名な話なんですな。
金立SAには徐福薬用植物園なんてものが
山の中央にポツンと社が
高速沿いの道の巌木に佐用姫の像が
松浦川の向こうに台形の鏡山も佐用姫伝説が
海に突き出たような場所に建つ唐津城が近づいてくると、二つの橋を渡ることになって右手目の前の海に浮ぶ宝当神社で有名な高島を見過ぎれば、すぐに城の真下に到着し公園の一郭にある駐車場にバスは入る。そこにあったこの周辺の案内地図(冒頭写真)を見ると、この城は絶妙な場所に建っていることが分かりますね。
唐津城
高島
城の見物はオプションとなっていたがほぼ全員が参加したようで、駐車場からは地下道で反対側に廻って城の入口までゾロゾロと、そこの壁にはタイルで唐津くんちの曳山の絵柄があって、こういう焼物も唐津焼にあるんだろうかと不思議で、でもこういうのを作れと言われれば土や釉薬さえ用意したらこんな焼物も作る腕前があるというんでしょうか。まさか有田で焼いたというのでは様にならないものね。
タイル絵
唐津城は海岸の砂浜を広げた翼に見立てて別名舞鶴城と言うそうで初代藩主寺沢広高が築城、しかし飛び地の天草も領していたため天草島原の乱の発生の責任と鎮圧に失敗とで改易となり、以降は譜代がいくつか交代したが明治廃藩置県で廃城となり、残っていた建物は払下げ処分後は公園に、昭和になって鉄筋コンクリート造で建設当時の築城様式を模して想定で模擬復元したとあったが、それでも外観などを見るに古式な感じの姿かたちが美しい。この時は石垣の大々的な修復工事をしていて、天守閣下部の傷んだ面全てを撤去して積み替えるということだ。
駐車場側から見た唐津城
城まではかなり長い石段を一気に登るようになっていて息切れするぐらい、足腰に自信がない人は有料のエレベーターを利用することになる。二の曲輪まで登ってやっと一息、そこには頭上に物凄く大きく枝を広げる藤棚があって、この藤の花の頃と城には相応しい桜の時期が一番賑わうとか。そして立派な構えの門を潜れば本丸となって天守閣が迎える、中は郷土資料館となっていて展示を眺めつつ最上階まで登り、目の前に広がる海と海岸沿いに伸びる虹の松原などの絶景を眺めることになる。この日はやや霞んでいて遠くまでの眺望は利かなかったが、この城のロケーションはやはり抜群ですねぇ、歴史資料からは天守閣は実際には作られなかったという説が有力だそうで、昔の殿さまはこれだけの景色は見られなかったのかもしれませんな。
大藤棚
一の門
石垣修復工事中
館内にあった城の模型は断面が見えるようになっていて、構造の説明をしていたが聞いている時間が無くて
宝当神社で人気の高島
天守閣からの180℃パノラマで中央の橋の向こうに虹の松原が
最後は虹の松原をバスから見物してホテルに向かうことになったが、松原内を通り抜けるだけの予定が時間の余裕があるからと少しだけ海岸まで歩いて出てみようということに。この松原は唐津の初代藩主の寺沢広高が作らせたもの、天草では過酷なことで乱を招いた殿様も、この松原では唐津の今にまで及ぶ貢献をしたということも言えるわけだ。海岸線からは今登った城、目の前に浮かぶ島、東に連なる陸地など夕日の中で霞む風景を少しばかり見ただけで、すぐ目の先の海岸に面して建つ本日の宿唐津シーサイドホテルに6時前に到着した。
虹の松原
180℃パノラマ
夕日が傾き海越しに城が霞む
この日のやや霞がかった天候は中国からの影響があったらしく、翌日の新聞ニュースで唐津はPM2.5の濃度が高めだったと書かれていて、お城見物では知らぬに仏で変な粒子を大分吸い込んじゃったかな。