小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

一箱古本市を歩く

2019年04月29日 | まち歩き

 

昨日の寒の戻りは、意外にもしつこかった。その反動か、今日はうって変わってのぽかぽか陽気。昼飯を食べて表に出たら、ゴールデンウィークと相まって、地元のどこの通りを歩いても多くの人出で賑わう。

楽しみにしていた、一箱古本市が立つ今日。昔ほどわくわくしないが、それでも一応覗いてみようという気になる。まずは近場の、「谷中特養」に設けられた一箱市をスタート地点にした。

今年で21回目を数えるというが、残念ながら年を追うごとに規模が縮小している感は否めない。出版不況とはよく言われるが、本を読む人の絶対数は確実に減少している。そんなことを嘆いていても、何も始まらない。この歳になると、どうしても爺むさくなり、古典ものの風雅やら奥義を窮めたような本を読みたくなる。そうしたものを、偶然の悦びとともに見出すことは、近年むずかしくなった。

というよりも、素人参加の一箱古本市は、ある種の成熟期を迎えつつあるのかもしれない。かつて、店主との本を巡る話、情報交換、値段交渉などの様々なやりとりは愉しかった。特定の作家やテーマにこだわった人も結構いた。近年はなぜかバランスが良くて、突出した癖というか特異さが感じられない。今後、どのように変化していくか、様変わりするのか、もっと萎んでいくのか、暖かく見守るしかない。

さて、古本市には40店が参加したらしいが、午後から歩きはじめたせいか目玉はあらかた売れてしまった感じがした。これはと思う書籍もあったが、プロの古書店よりも値段が高い。
童話や絵本を専門に売る店はパスしたが、いずれの店も文庫本が多く占めている。詩・句歌集の類が少ないのは例年通りだが、小説・評論、エッセイの本が多い。

今回、注目したのは、実は、絵本を専門に売っている店(パスするつもりが出来なかった=偶然の邂逅、その幸福)。店主であろう女性が、お客さんの子どもに読み聞かせをしていた。

しばらく耳をそばだてて、その朗々とした声を愉しんだ。本を読むことが、生きることに繋がっている、そういう実感をもった。

▲今年は森鷗外記念館でも古本市が立った。店主は女性が多いような印象。男性はほとんど中高年かな・・。

▲スタンプラリーは、9か所回るだけなので楽勝だった。今年はライト付きのボールペン。ロゴ入りで実用本位。

▲今回買ったのは2冊のみ。いずれも100円値切った。貢献度マイナスじゃないか! 平出隆の新書の方は、若い女性店主が300円にこだわり、交渉に応じない。売れ残っていたら考えてくれと、いったん離れる。3時ごろに戻ったら、「来てくれたんですね」と、笑っていた。お礼を言って200円にしてもらう。もっといろいろ話したかったな。確かここは、ひるねこBOOKSの店先だった。庄野潤三が揃っていた店に、杉本秀太郎の『伊藤静雄』があったのだ・・。何故なのか、買うことを惜しんだ。今となっても、その自分のせこい心理を思い起こせない。たぶん、印象が高かったか?

▲4月中旬に再スタートの予定だった古書ほうろうさん。今日が仮のスタートだという。「やっと、たどり着きました」と、宮地夫妻は疲れを見せず、晴れ晴れとした表情。店は奥行きがあって、別室のようなものがあり、そこを整理してから本格的に始動するらしい。店の空間が、意外やモダンな雰囲気で良い。今どきの古本屋さんの、その時流をキャッチしているのではないか・・。帳場の隣にキッチンも見え、ここでみかこさんが旨いコーヒーを「淹れる」のだろう。

▲古書ほうろうで求めた2冊。この他に、なんと句集『裏山』があった。和綴じで箱入り、状態もいい。正式オープンのとき買うか? 求めた2冊は雑誌や新聞に連載された随筆だが、安東次男の文章は、端正にして自在。心底あやかりたい。

 

 

 


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