小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

行動で示せよ

2015年12月30日 | エッセイ・コラム

 

 

                                                 

 

 

70年も前の国家の不始末を、この今になってアメリカさんの助けを借りて「合意」なんていう洒落た用語で落とし前をつけた。 んですか? 本当に解決したんですか?

ああ嫌だ。いつの世にも悧巧で力のある人達がやることは、まず体のいい言葉を使い、袖の下で生々しい遣り取りを交わして相手を黙らせ、自分を優位な立場に持ってゆく。
ほんとに解決したかったら、カネとかコトバじゃないんだ。

直截に頭をふかく垂れて詫びること。謝るという行為が求められている。なぜこんな人間的な、当たり前のことが分からないのだろう。

慰安婦とよばれた彼女たちの所に、安倍首相が自ら出向いて傅くことしか、いまや解決の糸口はないのだ。
皆さん高齢であるし、彼女たちが生きていられるのは正直いって残りわずかな年月であろう。
当事者としてできる、歴史的に禍根を遺さない方法は、誰もが目で見て腑に落ちるような行動しかない。このチャンスは極めて期間限定である。
彼女たちがどう応えるのか分からない。が、こうした誠意をしめす具体的な行動でしか、彼女たちの積年の怨嗟を解いてもらえることはできない。

兵隊は「生命」を、慰安婦たちは「性」を、不本意ながら犠牲にしてきた。それを強いた日本国家は、筆舌にし難い責任を負っている。過去の人間の所業だからといって済まされないし、現政府および関係者は自ら終止符を打てるはずもない。

過去にはドイツの首脳たちも謝罪の行動をした。たとえばユダヤ人へのホロコーストの現場やポーランドの墓地で花を手向け、頭を垂れて謝罪を表明した。内容に関しては、決して陳謝だけでなくドイツ側の主張も盛り込まれていた。だから、その謝罪の行為、儀式に関して否定的な見解を述べる人たちはいる。でも、ドイツの責任者は現場に赴き、具体的な謝罪の行為をみせた。

残念ながら日本の政治家はこれまで、犠牲となった人々やご家族のところに出向き、頭をさげて詫びたことはない。村山富一も河野洋平もできなかった。
なぜか、それは日本の官僚がコントロールしていたからだ。いや、村山と河野にしても主体性を発揮する理知はなかったし、行政側を制御してまでも犠牲者たちの前面に立って、誠意ある態度をしめす勇気もなかったのだ。

できるとしたら、安倍首相しかいない。
どうですか、安倍首相。

朝鮮の方々に心からお詫びしたいという日本人はたくさんいること、私は知っています。

 

残念ながら、言葉使いがうまかったり知識が豊富な人たちに、そういう発想は、はなからありませんよね。

詫びることなかれ、近づくことなかれ、聞くことなかれ、払うことなかれ。

事勿れ主義がこれほど浸透している国家は日本しかない。いや、韓国も実はそうかもしれない。

「合意」なぞと、これで一件落着という縁起の良い話題でしたが、あちらではもう、老い先のない彼女たちが取り乱す報道も出はじめました。

とにかく、何はともあれ、いちばん大切なことを体でしめすことができるか。そういう胆力があるやなしや。

別にアメリカさんに出て来てもらう謂れなんかないのだ。

 

言いたいことは別にもあったのけれど。まあ、こういうブログもあっていいかなと?

慰安婦は韓国はじめ他国の女性たちで構成されていた。もちろん、日本国内の女性たちも数多く招集された。国内の方々は戦後から今までずっと沈黙し決して表に出ていない。いまだ生きていらっしゃる方々もいるであろう。わたしは彼女たちの心の深い闇に思いをはせる。幾ばくかの癒しと安寧を願って祈ることしかできない。日本の一国民として慙愧にたえない。

 

 

 

 

 


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