小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

夏の明るい寂寞かな

2023年08月15日 | エッセイ・コラム

枇杷の実は熟して百合の花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込みの蔭には、七度も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえ早や萎れてしまった。梅雨が過ぎて盆芝居の興行も千秋楽に近づくと誰も彼も避暑に行く。郷里へ帰る。そして、炎暑の明るい寂寞が都会を占領する。

永井荷風の随筆集(岩波文庫)にある『夏の町』の冒頭の書き出しである。荷風がほぼ5年間の洋行(アメリカ、フランス)から帰って2年後に書いた随筆だ(発表は明治43年8月、東京散策記ともいえる『日和下駄』の執筆より4年前になる)。28歳という年齢を感じさせない熟達した書きようであり、江戸情緒を感じさせる叙述だ。冒頭にでてくる花たちは、初夏にわが町でも見かけた。お寺さんに自生したり、ご近所の庭先に咲いていて、今や懐かしく感じられる。

東京のお盆は明治より新盆だが、旧盆の八月初旬になれば人の動きは慌ただしく、多くの人が帰郷したのだろう。人通りも少なくなって「炎暑の明るい寂寞が都会を占領する」のは、今もわが町には同じような現象が見られる。

但し今日の「寂寞」には、戦後の「終戦」(敗戦)の痛ましい記憶と、亡くなられた方々への追悼がふくまれることは言うまでもない。

さて、荷風は、世の動き、その先の未来、権力の思惑などについて、自分が関知することでないとして筆をとらなかった。戦争中には自邸から焼け出され、各地を流浪し、戦後はほぼ孤老として79歳の生涯を終えたが、敗戦後の人間・社会のカオスについて何もふれていない(たぶん)。

『断腸亭日乗』は未読だが、『江戸芸術論』、『荷風随筆集』(野口冨士男編)は拾い読みし、荷風の江戸文化の造詣の深さ、分析の凄さが分かりかけてきた。以前、愚生が若いころは、エロ好きな軟弱な老作家だと敬遠していた。しかし、江戸戯作や浮世絵について書いた著述を読み、その考えを少々改めた。

昭和12年、世の中が戦争に向ってひたひたと歩んでいるとき、58歳の荷風は『西瓜』という随筆にこんなことを書いていた。

わたくしは人間の未来については何事も考えたくない。考えることはできない。考えることは徒労であるような気がしている。わたくしは老後の余生を 偸 (ぬす)むについては、唯世の風潮に従って、その日をその日を送りすごして行けばよい。雷同し謳歌して行くより外には安全なる処世の道はないように考えられている。この場合我が身一つの外に、三界の首枷というもののないことは、誠にこの上もない幸福だと思わなければならない。

 

ウクライナ戦争が、生成AIが、異常気象が、アメリカが、プーチンが・・、この先どうなるかと考えたところで、わたくしの場合、ほぼ「下手な考え休むに似たり」となるだろうから・・。お後が宜しいようで。

やはり写真がないと淋しいので、ストックから引っぱり出した。牧野富太郎の自伝的TVドラマ『らんまん』を見ている。『おはなはん』以来、2度目のNHK朝ドラの視聴である。それにかこつけて、とりあえずの2点。

奴草

ドクダミ

 


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6 コメント

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西瓜 (jeanlouise)
2023-08-25 22:47:23
荷風の随筆『スイカ』からの抜粋ありがとうございました。青空文庫で読み直しました。
世界情勢といい昨今の日本といい、虚空を眺めるような心情ではありますが、胸の内がざわざわしています。
どくだみの花と緑に癒しとエネルギーをもらいました。
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Jeanlouiseさま (小寄道)
2023-08-26 01:24:27
コメントありがとうございます。
記事が縁で荷風を読み、ある思いを共有してもらう。それだけで至福です。
写真も誉めてもらい恐縮、有難いです。

身体的なポテンシャルが落ちて、記事が滞っていますが、少しずつ書いています。長い眼で見守ってください。
ありがとうございました。
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小寄道様のブログ (jeanlouise)
2023-08-26 20:28:14
毎回楽しみにしています。

残念ならがパリにいながら見逃したリシエの記事、そしてリシエと柳原義達に関する記事大変興味深かったです。

そして6月25日の「末盛千枝子と舟越家の人々」では、改めて芸術家一家を知ることができました。個人的にずっと舟越桂の作品に魅かれており、かつて南仏Aix-en-Provence で作品展示を観る機会を得た時は感動でした。しかも会場にご本人もおられ二重の感激でした。ブログにコメントしようかと思いましたが躊躇いそのままになってしまいました。他にもコメントしてみたかった興味深い記事も多々あります。それら全てを含め、考える刺激をくださり、知らなかったことをご教授くださったり、共感させていただいている小寄道様のブログにここで改めて感謝です。

舟越桂の木彫のきっかけとなったという函館のトラピスト修道院の聖母子像は機会があれば見に行きたいとずっと思っています。
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Jeanlouiseさま (小寄道)
2023-08-27 00:14:08
リコメ感謝です。
舟越桂がお好きなんですね。
彼の初期の人物造形は、心に届く言葉というか、祈りのような温もりを感じました。
トラピスト修道院の聖母子像は、私が憧憬する作品のひとつです。
近年、なにかの物語を付与して彫っている感じがしています。彼の非凡なところですが・・。
また、お願いします。ありがとうございました。
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Unknown (jeanlouise)
2024-08-10 19:29:42
ふと、去年の8月のブログをめくりました。

昨日の長崎の平和式典が国際政治情勢(ロシアが、ウクライナが、イスラエルが、パレスチナが、etc... )に翻弄されていたのを、小寄道さんならどうコメントなさったのでしょうか。抜粋してくださった荷風の「わたくしは人間の未来については何事も考えたくない。考えることはできない。考えることは徒労であるような気がしている。」の心境に近いであろうかと想像します。そんなことを思いながら舟越保武の長崎の26聖人像を思い出し、3月に死去した舟越桂の函館の聖母像、そして小寄道さまへと繋がっていきます。
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Unknown (小寄道 妻)
2024-08-10 22:09:45
jeanlouise様

コメントをありがとうございます。
徒労であるような…に続き、blowin'in in the wind ❲風に吹かれて❳ と書きそうな気がします。
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