小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

春近し、チョコの香りと、梅の香と(※注)

2018年02月15日 | まち歩き

 

バレンタインの日。何が目当てか知らないが、淡い青色の、いかにも可愛いげなパッケージを妻が持ってきた。

案の定、フランスのチョコ。感謝の意を表すが、毎年の行事だったか、特別の何かなのか、俄かに判じ難い。認知を疑う我は、一考して事なきをえる。

つまり、今月は誕生日だからね、と妻に念を押されたような心持になり、我れに帰ったわけだ。いやいや、お互いに思いやる気持ちを強く刻む、そう祈念する一年に一度の日。と、自らを思い込ませるのは、伴侶の言う事をよく聞くべし、という潔い諦念なのだ。若い人がこれを読んだら、「面倒くさーい」と思うだろうな。

 

前日は、手話講習にかよう女子大生からチョコをもらった。無論、私にだけではない。2種類の箱から皆が旨そうなチョコを、全員が選んだだけのこと。

でも義理チョコではない。だって上下関係のない、同じ講習会の仲間だから・・。若い女性だけが抱くことのできる、他者に思いを届ける感情の美しい高揚。感謝をカタチにし、行動にうつせるフェミニンのパワー。素晴らしいじゃないか。

この老いぼれの、女性への練れた心理分析を、今どきの若い男たちは理解できるだろうか。「何を言っているのか、意味がわかりませーん」と言われるのが落ちかな。

 

そんなバレンタイン・デーの昨日。谷中墓地経由で散歩兼お買い物。通り道の寺前に鎮座していた雪だるま、その微かな痕跡を目にした。約1か月(25,6日ほど)を目を愉しませくれたので、なんとも寂しい気持ちになった。齢のせいにしたくないのだが・・。

 
 ▲2月14日。約1か月ほども、頑張ってくれたんだな。と、声をかける。後ろから苦笑する声が聞こえた
 

           

▲散歩コースゆえに経過が気になった。1月21頃の大雪から1週間たって、通り道の寺「加納院」に3段の雪だるま。最初に撮ったのは1月26日。続いて2月5日頃2段に。2月11日には、もはや形無しに。(ただ、北陸や東北における積雪の被害にあわれた方々をおもうと心痛むかぎりだ。)

▲谷中墓地を通るとピンクの梅が咲いて、見ればウグイスが花を啄んでいた。

 

最近、俳句の番組をみるようになり、見よう見まねで下手な句をひねり出してみた。(なお、表題は俳句ではあらず)

梅匂う卒塔婆のかげに羽の音  ⇒ 梅匂う卒塔婆のかげに羽音かな

初鶯スカイツリーにも花渡れ  ⇒ 初鶯スカイツリーへと花渡れ  

名残り雪バレンタインぞ足弾み ⇒ 名残り雪バレンタインぞ足弾む

雪溶けて寂しさつのる天邪鬼  ⇒

春近し形のこせよ雪だるま   ⇒ 

 


追記:
記事中にある「ウグイス」は間違いで、「メジロ」であることが判明した。筆者が粗忽で無知であることの証明となるので、自戒するうえでもこの恥さらしをそのままにしておく。まだまだ俳句を詠む器ではないことが骨身に染みた。(2018.2.22記) 

骨身に染みたにも関わらず、手を入れたくなった。なんとも思い切れない、因果な性分がはずかしい。これでは駄目で、たくさん作って、たくさん捨てる。これが俳句上達らしいのだが・・。いまの段階では、試行錯誤ということで大目にみてほしい。(3月3日記・ 耳の日だ!)

 
(※注)このタイトルは酷い。現在から3年前になるが、俳句の体をなしていない。この頃は、俳句を詠むことには超初心者であり、「季重り」とか「切れ字」なども知らない。言語道断の俳句もどきの遊びをやっていた。
愚生は、自分の恥を晒すことを恐れない。恥を隠そうという心が、さまざまな害悪を呼び込む。
今なら「往来はチョコの香りに梅の花」ぐらいが関の山かな。師匠がいないので、なんともいえない。
それにしても、読点を打ったのはなぜなのか、自分でもわからん。(2021・1.17)・・・偶々、過去の記事を読んで、恥を偲びつつ追記。

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