小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

誰が、谷中の街並みを毀すのか(4)

2019年12月22日 | まち歩き

昨日、12月21日「谷中の地区計画(原案)の説明会」に行ってきた。{誰が、谷中の街並みを毀すのか}の記事もこれで4回目になる。行政側の狙いも分かってきたし、遠い将来のことを嘆いても仕方ない。物事は、成るようにしか成らないのだ。投げやり、無責任などではなく、個人で関われる限度を超えた問題だし、善悪を問うものでもない。

今回の説明会は、10月に行われた「原案」の説明会、その修正報告である。その時に参加した谷中及び台東区の住民の意見・要望を受けて修正し、民主主義的な手続きを踏んできちんと「原案」を手直ししました、という体の台東区地域整備課の報告である。さきの原案を100としたら、修正案は95ぐらいのもの。それほど、大きな修正点はない。(その他、壁面後退のルールや容積率の変更など)

めぼしいものは、文京区に接する「夜店通り」商店街、その建物の高さ制限を20mから、文京区と同じに17mとしたことだ。いまさら折り合いをつけるなら、区分けを超えた擦り合わせを事前にすべきだったに過ぎないこと。縦割り行政の弊害がこんなところにも出てきたという典型といえる。

そもそも20年以上前の、国交省の優秀な官僚が立案した「都市および地区計画」なんたらという計画が、上意下達によって地方行政へ、そして末端の自治体に順次降ろされてきた仕事といえる。住民との交渉・調整を経て、上意の計画を実現することが、いま末端の公務員にまで浸透してきた。予算化され、その計画が形になるまで何年かかろうと、当初のそれが実行されてゆくこと。それこそが、行政皆さんの願いであり、達成すべきことなのであろう。

{誰が、谷中の街並みを毀すのか}も先細りが見えつつある。「谷中地区計画」は今後、有識者の審議会を経て議案化され、議会で討議(?)される。その過程で、どのように手が加えられ予算化されるか見守っていくしかない。

前回の記事で、「街づくりの素案」を作る前段階の、台東区による住民へのアンケートについてふれた。その結果は、住民側の意見・要望としては、「高い建物は谷中にふさわしくない」というものだった。また、谷中の街並み・景観を形成しているのは、寺町的な雰囲気と「狭いけれど情緒のある露地」であった。区側の素案は、この「狭い露地」をほとんど考慮しないもので、住民のアンケート結果をほとんど無視した素案を作りあげた、といっていい。

さらに、アンケートの結果や概要、および内容、評価など、それらの事実関係は、今日までに公表された素案や原案のどこにも記されていない。筆者は、そのプロセスや真意を尋ね、今後そのアンケート結果の内容を、原案や議案書等に盛り込む手立てはあるやなしや(No wayと分かっているが)、そのことを質問、究明するつもりであったのだ・・。

 

彼らの真の狙いは、この「狭い路地」を拡張して、消防車も入れるような防災・防火対策をはかることだ。こんな立派な未来計画にいちゃもんをつけるなんて言語道断だ、とまあ小役人は思っているんだろう。道路が広くなり、建物が3,4階に建替え可能ならば、資産価値も高くなって地権者ならば何の文句もないはず。たぶんそんな目算に違いない。

ただ、そんなスマートで防災に強い(?)街づくりを進めていけば、谷中らしさは確実に失われ、面白みのない土地になっていく。現在、たいへんな賑わいをみせる谷中商店街も、近い将来20mの高さのビルも建てられるようになる(※注)。お洒落にスマートになるだろうが、下町の風情は様変わりする。そうした将来像や環境の変化を、商店街の店主の皆さんはお持ちであろうか?

下町情緒が失われ、かつての活力・賑わいのない街に、わざわざ観光には来ないだろう。京都はじめ、飛騨高山、金沢など外国人に人気のある街は、その土地ならではの街並み、景観を大切に守ってきた。その風情を保つための工夫やメンテナンスに腐心してきたはずだ。

(台東区に物申す。何度も書くが、道路の拡幅と谷中らしさはトレード・オフの関係にある。ですから、防災・防火は異なるフェーズで考えなければ達成できません)

木造密集地区である谷中は、筆者が子供のころから防火への意識が高く、それは今でも変わりない。だから火事や地震で大惨事が起きたこともない。その昔、五重塔が燃えてたくさんの火の粉が舞い降りたときも、隣近所のみんなが全員で火消ししたものだ。小学校にあがる前だったか、筆者も一人前に加勢したことを鮮明に覚えている。

説明の後、参加者の疑問・意見に対して、区側の回答があった。前回同様、午後7時から9時までの時間指定内に限られたもの。遠慮深い性格ゆえに、最後に発言しようと待っていて、挙手をしているにもかかわらず、司会者は筆者を見ると「もう時間だから」と会を打ち切った。思わず「こんちくしょう」と口から呪詛がでた。


今回の説明会は、同じことを金曜日と土曜日の2回開催したそうである。忘年会シーズンにやるほうもやるほうだし、2回に分けて分断化したほうが、批判の矛先をかわせるとでも思ったんだろう。金曜日は36名、土曜日は44名の参加だったという報告で、前回の120名ほどの参加者よりだいぶ減った。(なお、前回の記事で、250名の参加があったと間違った数字を書いていた。記事の訂正とともに、ここでもお詫び致します。今回、いちばん後ろの席に座って、会場の正確な席数がわかった。)


(※注)先日、早大生からアンケートが郵送されてきた。創造理工学部4年生の学生が発信者で「谷中銀座商店街の観光地化に対する住民意識の調査」というもの。後輩のために協力するべく、アンケートに答えたのだが・・。なお送り先は、担当教授宛てになっていて、谷中銀座の建替え、景観のリニューアルを視座に入れての研究プロジェクトらしい。と、送付してから思うようになった。いろいろな立場の人が、この谷中に視線をおくっているのだなと思う今日この頃である。



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