小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

一言でもいえること

2018年02月13日 | 日記

 

排泄すら自分で自由にできない杢太郎という少年がいた。胎児性水俣病という「病名」をつけられていたが、チッソという一企業が海にたれ流した水銀の毒による公害である。この家族の内情というかあらましについて、私には説明する勇気という力がない。

少年の世話をしたのは祖父母である。

じじもばばも、はよからもう片足は棺にさしこんどるばってん、どげんしても、あきらめて、あの世にゆく気にならんとじゃ。どげんしたろばよかろかね、杢よい。かあさんのことだけは想うなぞ。思い切ってくれい、杢。

杢よい。お前がひとくちでもものがいえれば、爺やんが胸も、ちっとは晴るって。いえもんかのいーーひとくちでも。(『苦海浄土』・「九竜権現さま」より)

この家族は石牟礼道子を「あねさん」と呼んでいた。『苦海浄土』は渡辺京二によれば、「聞き書き」でもなければ、ルポルタージュでもないという。水俣のなかにいた当事者として、石牟礼道子は、沈黙することしかできない隣人の痛み、苦しみの、内なる魂の響きを言の葉で映しとったのだ。そんなニュアンスのことを書いていた。

[水俣病]を忘れ去らねばならないとし、ついに解明されることのない過去の中にしまいこんしまわねばならないとする風潮の、半ばは今もずるずると埋没してゆきつつあるその暗がりの中に、[少年]はたったひとり、とりのこされているのであった。(『苦海浄土』・「山中九平少年」より)

都合の悪いものは、始末に負えないもの、権力による悪行は過去の闇へといつのまにか有耶無耶にされる。この風潮は、いまに至っても続いている。[水俣病]を福島に置き換えてもいい。別の何かでもいい。「森友」もやがてそうなるのだろうか。[少年]もまた別の誰かに替えてもいい。誰かが犠牲になる、誰かが繁栄する。その構図はほんとに終わらない。沖縄はとくに酷い。

石牟礼道子さんの冥福を祈りたい。


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