小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

この世界のさらに幾つもの・・

2020年03月05日 | エッセイ・コラム

体の調子はだいぶ復調している。雨降り模様だったが、今日こそは外出しようと、勇躍の感、我にあり。とはいえ現在の、こんな環境は甚だ怖いし、慎重さやマナーも求められる。

駅や電車内では、マスクの装着率は80%前後だろうか。皆さん、頑張っている。今後、マスクの供給不足はどうなるのか、行く末が不安だ。

そんな東京でも相変わらず、欧米人らしきツーリストを結構見かけるのは不思議だ。で、彼らのマスクをする人と、しない人との差が、なんか半々ぐらいの印象をもった。たぶん、買いたくても手に入らないのではないか。外国では、余程のことがないと、マスクをかける習慣がないと聞くが・・。今がその時なのに!

しかし、マスクをする外国人のなかに、いかにも高機能らしいマスクをかけた方を何人か見かけ、興味を引いた。とりわけ、口と鼻の部分にハイテクのフィルターを施したかのようだ。日本では製造されない、特殊な専門仕様のマスクなのか、それとも医療関係者とのコネがあるのか・・。

 

さて、外出する当初の目的は、六代目神田伯山の襲名披露公演に行くことだった。そう、いま「日本一予約がとれない神田松之丞」改め「伯山」のチケット。それも寄席興行の真打披露だから、当日券だけを当てにするしかない。現地に赴くことが先決となる。

今回の池袋演芸場にしても、新宿、浅草に続いて連日満席ということは承知していた。とはいえ運が良ければ・・の話だ。90余りの小さな小屋でも、一縷の望み。いま世界を騒擾させている新型コロナに恐れをなし、賢明なるファンの出鼻を挫き、意外にも、潜り込めるんじゃなかと・・。雨も幸いとなって、大穴になるんじゃないかと・・。

そう考えるのは、誰しも同じなんだろうか・・。

午前11時からチケットを売り出すので、30分ほど前に着いたのだが、甘かったな。もはや三重に並ぶ列を、ざっと勘定しただけで軽く100名は超えている。前日から並ぶ人もいたらしく、朝の6時ころには40人近くが並んでいたとの噂。たぶんダフ屋も混じっていたであろう。開演近くになれば、5,6倍の値がつく、異常な相場らしい。そこを突破して、首を突っ込む義理、道理はさすがにない、潔く諦めた。

400以上の席数、さらに立見もある浅草に行くべきだったのだ。まあ、こちとら俄かファンであり、古くからの松之丞贔屓筋を前にして、気合で負けることは承知の助でがんす。

まあ、お陰様で講談の素晴らしさを再認識したし、神田松鯉という人間国宝を知ることができた。(いぶし銀の語り口には、魔法にかけられたように、いつの間にか引きこまれる。さらに、張扇で釈台を打つ、なんとも落ち着いた「ぱくっ」という独特の音がいい。伯山にしても、その精進の道筋は見えているでしょう!)これからは、神田一門とゆっくりお付き合いさせていただくことにしよう。

 

ここまで書いてきてなんだが、チケットが取れないことは想定内のこと。駄目だったら、東口の「開楽」でジャンボ餃子を食べ(東武デパートの「天龍」も候補だったけど)、それからテアトル新宿に行こうと決めていた。例の傑作アニメ映画『この世界の片隅に』のロングバージョン版を見てなかったのだ。

年末年始はなんだか気後れし、それからも行きそびれていた。ネット記事を読んだりすると、どうも観てしまった感じがするのは良くない。観る必要性というか、切迫感が失われたことは確かだ。自らの心理操作、こういう癖は自戒しよう。

ブログには、『この世界の片隅に』について何度も書いてきた。ファンの方ならご存じだろうが、一作目の作品は、片淵須直監督が断腸の思いでカットした部分が多かったという。監督からすれば、いわば不完全なもので、忸怩たるものがあったらしい。しかし、作品が大ヒットし興行収入にも余剰が生じたことで、「さらにいくつもの」が作られた。

この新バージョーンでは、カットされた250ものシーンが復活したという。なおかつ、新たなエピソード・シーン、音声(声優含め)が追加された。映画の内容がどう変わり、人間関係の描き方にどれだけ厚みが加わったのか、ここでは詳細に書かない。というより、書けない。

但し、筆者が再三書いてきた、『この世界の片隅に』の「エロス的問題」について若干触れるならば、興味本位に想像させるエピソードはより丁寧に、洗練度を増した映像表現となった。進化したというより深化した新バージョンだ。

むしろ、原作における含みを持たせた、それ故の曖昧な表現に、さらに精緻さを加えたことで、すっきりしたシークエンスというかアニメ映像になった感がある。

すずと水原、周作とリンとの関係は、前作より明瞭に表現されていた。つまり、それぞれのカップルに付き纏う下世話なイメージは払拭された。もはや下ネタ的な連想に及ばないほどの、緻密なテコ入れをしたと思われる。さらに、全体のバランスを考えて、新たな作品として丁寧に仕上げよう。作り手たちの、そんな強い意志を直感できる出来栄えだった。

そして、作品としての品格はさらに増し、より緊張感に貫かれたアニメの戦争映画になった。何よりも一段と、すずさんの人間としての弱さや哀しさが深く迫ってくる。

ジェンダーの主張ではなく、立場の弱いもの、居場所に迷う女性たちへの応援、そして讃歌。そういった現代的な問題にも架橋するアニメ、そんな印象も強く感じてしまった。あくまで個人的な感想に過ぎないが。

多くを語ることはよそう。ともかく『この世界のさらにいくつもの片隅に』は、戦争アニメ映画の金字塔であり、いろいろな面でこれを超えるアニメはしばらく出てこないだろう。

また個人的には、この映画について縷々書いてきたことを、作り手たちがさらに補強してくれたように感じ、たいへん嬉しく映画館を出たことを記しておく。

 

▲映画館のロビーにて。

 

追記:『モーニング』を買って読んだ。やはり身内ネタの話で、女性講釈師のジェンダー課題で収束されるのか・・。


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