この五、六日風邪で臥せっていた。今日、それが件の新型コロナじゃなかったことを確信した。
松之丞から伯山への真打披露公演も諦め(国立演芸場は中止らしい?※)、自室に引きこもりネットをやっていた(伯山はいま軸足をサブカルに置いている。ある意味で伸びしろを広げている。小生は松鯉が拠り所であるが・・。(20年、いや15、いやいや10年後の伯山を見てみたい)
熱は平熱より1.5度増し、鼻水・痰はないが、猛烈にだるいが、なんとか頑張れる。症状は、ほとんどコロナウイルス感染に近い。感染ルートの一抹の疑義もあったが、特定できていたので余計な心配はしなかった。
まあいい。とにかく難渋を脱した。そう思うと、ちょっと気が漲る。仄かな気分程度であるが・・。この冬の時季に、USAでインフルエンザにより2万人ほどが亡くなった。このことの医学的検証は、来年以降だろう。
この世間・社会、世界にあって、この種の感染病による被害は近代以降、ほんの一握りの優秀な識者の想像、想定の範囲を超えるものではない。草木が繁茂する変数を誰が見極めたか?
しかし、その認知を超えて風評はとどまることを知らない。戦争における謀略、デマゴギーによる被害とほぼ等しく、プロトコルと変数の違いほどの差異、その被害の甚大さがあるのではないか。
不安に駆られると、生活用品の買いだめは女性の現実志向による。70年代のオイルショックと同じだ。ほんとに気を大きく構えてほしい。付け込まれ、翻弄されるだけだ。