小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

植物学の泰斗、牧野富太郎の記念庭園に行く

2022年09月07日 | 日記

練馬区大泉学園にある牧野記念庭園に行ってきた。植物学者の牧野富太郎については何度か書いてきたが、彼がなした研究成果には今も新たな発見があるという。
今年は生誕160年ということもあるが、来年にはNHKの連続朝ドラの主人公になるらしく、牧野富太郎が話題になることが多い。
そんなことで大泉学園の記念庭園の存在を知ったのだが、我が不徳、怠惰を諫めたところで時遅し。

ともあれ、9月までは「万葉集の植物」をテーマにした企画展をやっていて、これは面白いということで妻と出かけたのだ(そういえば、小石川植物園にも牧野に因んだ小さな記念館があったが、こちらはどうだろうか・・)。

記念庭園は駅から徒歩5分ほどの近場であるが、牧野が大正15年から晩年までここに住んだというだけあって、植物の多様さは驚くほどで、外観はちょっとした小さな森ともいえる。パンフレットには本人自身が「我が植物園」と呼ぶほど、牧野が丹精込めて生育したであろう珍しい植物を観賞することができた。

実際には500坪はあると思われる庭に、樹木・草木など300種ほどが植生され、なかでもヘラノキとかイイギリという樹など初めて見るものが多い。また、新種の笹に妻の名前をつけた、かの有名な「スエコザサ」を見ることができた。そこには銅像が建てられ、しばし眺めるうちにシーボルトが紫陽花に命名した「オタクサ」のエピソードを思いだす。

ところで、生誕160年(1862~1957、享年満94歳)ということだが、彼の生没年はどんなものであったのか、ちょっと調べてみた。
文久2年(1862年)であり、森鴎外や新渡戸稲造と同年であった。牧野は満94歳まで生きたが、慶応3年生まれの夏目漱石、幸田露伴、尾崎紅葉、南方熊楠、正岡子規、宮武外骨、斎藤緑雨らよりも5歳年長である。(なお、今年は鴎外の没年100年ということで、こちらも各種のイベントや記念出版で盛り上がっている?)。

この慶應3年生まれの人たちに較べると、牧野は桁違いの長生であり、かつ晩年まで旺盛に植物の蒐集、育成、研究(標本作成、執筆等含む)に勤しんでいた。高知に生まれ、少年時代から独学で植物研究だけに打ち込んできた人生に対して、愚生は只々頭をたれるしかない。

なお、記念庭園内には、常設展・企画展の建屋だけでなく、実際に使用していた書斎、書庫のある一戸建ても再現されていて、牧野自身の生活環境がどんなものか肌で感じることができる。無料で観覧できるというのも、この記念庭園の魅力のひとつだ。

 

▲うばゆり?

▲セミナーや講習がある館の裏にある古木。古色蒼然とした苔が独特の味わいであるが、その緑は若くもあった。

▲牧野式胴乱とあったが、蒐集するための道具等をいれる鞄のようなものだろう。その下に「竹の標本」がある。この分類にも意味がありそうだ。

余談だが、牧野富太郎の墓はわが地元の谷中にあるが、谷中霊園ではなく天王寺にある。ご存じの方もいるだろうが、天王寺は江戸時代には三大富くじの一つを運営していた大寺である。
明治維新以降、徳川家菩提寺の寛永寺とともに墓所地を半分ほど、東京市に接収された経緯がある。キリスト教をはじめイスラムなど外国の宗教、仏教各宗派を問わずに墓所を一般に開放した。

その谷中霊園とは別の一画にある天王寺に、牧野富太郎の墓はある。没年が昭和32年ということもあるが、明治時代の古めかしく大仰な墓石が多いなかで、ちょっとモダンな佇まいを見せる墓石だ。近くに大きな樹木が2本そびえて、彼の墓を見守っている印象をもった。

 

 


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